月: 2020年1月

1921年(大正10年) 大正

1921年(大正10年)

5月 6日大夕張郵便局(請願により夕張郡夕張町字大夕張炭坑に設置(昭和5年南大夕張郵便局に改称)7月 鹿島沢地域試錐9,10号・北卸沢探炭試錐英式1号。(北部) 25日,新錦坑でガス爆発。死者5名。10月 春日沢試錐英式2号。(北部)11月 香取沢試錐英式3号。北卸沢試錐英式4号。(北部)北部開発第…
大夕張訪問記(2003年8月)|桂 訪問記

大夕張訪問記(2003年8月)|桂

平成15年(2003年)8月18日(月) こんにちは。川崎の桂です。掲示板にも書いたのですが、 8/18に大夕張に行ってきました。およそ2年ぶりでしたが、 短い時間でしたが、大夕張の空気を吸って、リフレッシュしました。 また、ぜひ行きたいと思います。 記念碑にて 鹿島小グラウンド跡地の鹿 かつての大…
大夕張の人口推移 統計

大夕張の人口推移

大夕張の人口の最盛期は,昭和30年頃。昭和30年代後半から人口が減りつづけ,昭和48年の三菱大夕張鉱の閉山を迎えることとなります。47年から48年にかけて人口は半減してしまいました。昭和初期から40年以上にわたって築かれた町は姿を変え,それまでの町の歴史を一変させてしまいました。平成10年,大夕張か…
シューパロ川下ってきました|高橋歌子 訪問記

シューパロ川下ってきました|高橋歌子

シューパロ川下ってきました。 出発してすぐ沢が合流してダバダバだった  2001年06月03日(日) 一部お誘いした方々。これなくて正解です。本日のシューパロ川、めちゃくちゃ激流です。中級者以上でないと無理でした。 前々から計画していたシューパロ川カヌー下り、本日行いました。 朝、下見に行…
大夕張駅前の移り変わり 思い出の街角

大夕張駅前の移り変わり

大夕張駅から駅前通り風景の写真を3枚。昭和20年代から昭和40年代への20年間の市街地の発展は目をみはるほどです。炭鉱隆盛の時代。昭和48年の閉山から25年を経た老朽化した建物は時代の流れを示しています。昭和20年代の写真は夏の日の午後でしょうか。通りを歩く人々の声が聞こえてきそうで心に残ります。後…
冬の大夕張 | 内川准一 訪問記

冬の大夕張 | 内川准一

昭和24年大夕張生まれ。昭和37年4月札幌に転出。 平成9年(1997年)3月21日冬の大夕張へ  大夕張の閉鎖が近い。今年中に街も学校もなくなってしまうと、来年からは本当に何もない野原になってしまう。思い出を辿るための何物もなくなってしまう前に、住んでいる人のいる間に冬の大夕張も見ておきたい。  …
八百五十 地図

八百五十

八百五十、はっぴゃくごじゅう、ほぼ850メートルの高さで、神社から続く山の名前です。赤い○で表したところが山頂です。大夕張の人たちは、スキーや軽登山などで馴染みが深く、歌の歌詞にも歌われるほどでした。 この画像の作成は,DAN杉本氏のフリーソフト「カシミール」で国土地理院発行の「数値地図50mメッシ…
大夕張駅上空から パノラマ

大夕張駅上空から

昭和35年頃の大夕張。昭和33年に建設された鹿島小学校の校舎は映っていますが,大夕張駅前の道路はまだ未舗装のようにみえます。岳富町の商店街もまだ線路側に軒を連ねています。この他,鹿島小の土手側には昭和32年に千代の山一行が巡業したという土俵や(のち聖心幼稚園建設で取り壊し)グランドの一角に大きな木の…