昭和40年健保会館(武徳殿)

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記憶の中の健保会館 【飯田雅人】

健保会館の園庭は、いつもチューリップやその他の花々が花壇に植えられ芝生もきれいに手入れされていました。そばの児童公園では、ブランコなどの遊具で、日が暮れるまで遊んでいました。大夕張幼稚園の体育場としても使われていたのかもしれません。

私が住んでいた富士見町側からくるには,富士見町詰所横の踏み切りを渡ると若干遠回りになるので、詰所裏から、太く四角い木の柵を乗り越え、線路を越え、公園に直接入っていました。そうすると、開け放たれた窓から健保会館の中がよく見えました。学校の授業を終えた子どもたちや、大人たちがここで剣道や柔道の稽古をしているのが見え、興味深くずっとのぞいていたものです。

昭和56年頃、鹿島小の体育館新築のためだと思いますが、一時鹿島小の体育館として使われていたことがあったようです。


朝方の夢 【夕輝文敏】


 夢を見た。誰もいない朽ち果てた建物の中を,一人で歩いていた。建物を通り抜けると,健保会館が大きく聳え立っていた。そこだけが,まだ生きているかのように生気を放っていた。


 そして,道路の向こうからは沢山の人が,浴衣姿で歩いて来るのが見えた。その人の波は,遥か官行(初音沢)から続いているかのようであった。

 「あっ,今日は神社で花火大会があるんだ」

 私は,急に嬉しくなってきた。

 「みんなが,花火大会を見にも一度集まってくる...」

 再び健保会館へ目を移すと,富士見町の辺りにまだ堅固そうな住宅が3軒見えてきた。


 「そうだ,あそこはAの家だ。よし,誘って一緒に花火を見に行こう」

私はそう思い立つと走り出した。

 住宅に近づくと,大きな看板が立てられてあった。そこには「移転先ともう人が住んでいない旨」が,大きな白い文字で書かれていた。


 庭先には,美しい花達が沢山咲いているのに,中を覗くと空家になっていた。Aに会えると思って気持ちが高揚していたが,もうそこには,Aの家族は誰も住んでいなかった。


 「この街にはもう誰もいない」そんな現実を思い知らされた気持ちになった。
 そして,元の場所に戻ると,健保会館もなく人の波も消え,原野になってしまった空間が見えるだけであった。


 そのあまりの落差にどうしようもない「悔しさ」がこみ上げてきた。そのとき,まだ解体工事もはじまっていないのに,ガラスが破られ荒廃した姿に変えられてしまった鹿島小学校が,目の前に浮かんできた。


 そこで夢から覚め,目を開けると朝になっていた。夢とはわかっていても「悔しさ」だけは覚めることもなく残っていた。
 どうせ夢を見るなら,活気のあった頃の大夕張の姿と出会いたい。夢から覚めて悔しさが残るなら,懐かしい友人たちと沢山語り明かしたい。


 そんなやるせない想いが残る「朝方の夢」を見た。


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