昭和7年と昭和45年健保会館(武徳殿)
2020-04-25
2023-06-20
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健保会館は三菱の福利厚生事業の一つとして建設されました。昭和7年に労協調機関として協和会が設立されてすぐ大夕張にも武道,運動の場として建設されたようです。
昭和9年頃の武徳殿はまだ周囲も整備されてなく草創期を感じさせまが,昭和45年頃の私が知る武徳殿の前庭は花壇や芝生がいつもきれいで管理人さんが手入れをかかさず環境を整えていました。閉山後,正面の武徳殿隣りの建物に喫茶店ができたがけれど流行らずそのうちなくなったという話を聞きました。
柔道を習いました 【泊川俊徳】(2007/03/26(Mon) 09:28)
16才 17才の頃 柔道を習った事が有りましたが
ただ痛いだけで上達もしないまま終りました
当時 鹿島小学校の校長が 5段と言う事で教えに来て
ましたが 流石 技が切れると言うか 投げられても
痛いと言う感じが無く やはり素人は やたら力まかせで
足のスネが痛いだけ
健保会館解体の時 天井裏から身元不明のミイラ化した
男性の遺体が出て来たそうで 結局 誰か解らないまま
のようですね
現在のダムも解体後 湖底の泥の中にも 身元不明の
白骨遺体が有るかも知れませんね
祖父母が管理人 【Cちゃん】 (2007/01/18(Thu) 14:41)
ありがとうございます。
この会館の管理人をしていたのが私の祖父母です。名物ばあさんでしたよね。
とても懐かしい写真見れて感激です。
今、夕張が大変な時ですね。ブログから応援しようかと思うのですが、なんと呼びかけてよいやら?
あっちこっちの記事を集めてワンコーナー作ろうとも思ってます。
親戚が夕張にいるので、とても心配です。
http://ameblo.jp/chyan/