栄町1丁目の通り
2020-06-21
2020-06-27
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昭和32年11月に栄町アパートが完成し、入居が始まったそうです。写真をよく見ると側溝も整備されているようです。昭和30年代も後半でしょうか。
昭和40年以降、モータリゼーションの時代を迎える前の、まだまだ道路が人中心だった頃ののどかな大夕張の通りです。
バイクと自転車に乗った人物がいますが、移動手段として当時は、バイクが使われていて、私も親戚のおじさんのバイクの後ろにつかまって乗せてもらったことがあります。
ここには写っていませんが、当時は、馬車、冬は馬そり等、運搬手段としてよく使われ、各家庭に燃料としての石炭や荷物を運んでいました。モーターがついた自転車に乗った人もよく見たものです。
余談ですが、馬車が通っていったあと、残していった(馬糞)を(饅頭)とよび、たかるハエも含め、よく眺めていました。藁が主食の馬の糞は不思議と汚い、臭いという程の記憶がありませんでした。むしろ観察の対象?として眺めていたという方が強かったでしょうか。
栄町ブロック 【山本栄子】
我が家は1丁目16番地
ブロック 夏涼しく 冬暖かいが うたい文句😃
水洗トイレでした。
明石町からの引っ越しで 途中転校が 嫌で 確か東小迄通い 新学期に鹿島小に転校したと思う。
炭鉱の生活が私の原点かな😃