思い出の街角 吉井快生堂・エルボン 昭和40年代、大夕張の駅前通り。大夕張郵便局から続く商店街。炎天下、水遣りのあとだろうか、道路が水に濡れている。北海道の山間の町でも短い夏の陽射しは強かった。 吉井快生堂の栓抜き 【泊川俊徳】(2006/06/19(Mon) 11:27) 毎年 正月初売りには景品が貰えると言うので、たいして必要でも… 続きを読む
昭和 1965年(昭和40年) 1月 1日,夕張鹿島高等学校から夕張東高等学校と改称。2月 異常集中豪雪(積雪量172cm)市内交通マヒ。3月 1日,鹿島簡易郵便局設置。 10日,『シューパロ』No.1発刊(夕張東高校郷土研究部機関誌)4月 炭鉱病院裏の隔離病棟跡に,三菱大夕張高等鉱業学校設置。(グラウンドは鹿島小学校のものを使用… 続きを読む
思い出ばなし 大夕張でのお盆 【回想】 最後のお盆を過ごしたのは・・・ 【三浦ユキヒロ】 大夕張で最後のお盆を 過ごしたのは、何時だったかなーー 関西で暮らしていた時の、束の間の帰郷かな~ それが大夕張のお盆時期だったのかも知れないと、朧気な記憶の彼方から、細い絹糸を手繰り寄せる様に、脳裏に浮かんで来ました。 あの、裸電球に赤〃と… 続きを読む
訪問記 2002年お盆の大夕張|堀田正文 牛乳屋の息子です。お盆休みで大夕張へ行ってきました。 両親が住む紅葉山から、清水沢、南部を抜け建設中のダムを覗いてシューパロ湖を横目に、実家のあった元大夕張商店街にて、お弁当を食べてきました。 わずかに残つていた家屋も取り壊され、目印となるものもなく実家のあった場所もわかりづらくなっていました… 続きを読む
思い出ばなし お盆の花火|石原賢治 出張で実家(福岡)に寄り父親と話した際、お盆の花火のことで書いて欲しいといわれまして、ひと言。 お盆、8月15日(旧の盆)の夜、山神社脇から打ち上げ花火をあげていました。 専門の花火屋さんを雇うわけでなく、会社の社員の方で北沢さんという方が、あげていたそうです。 他にも何かの連絡ごとで、明… 続きを読む
訪問記 2007年お盆 無人街への里帰り| 泊川俊徳 お盆 本州から帰省された方も多いと思いますが、大夕張生まれの方々、今となっては家も人も住まない無人の街 かつての炭鉱住宅も無い。 昨年暮れから ダム工事関連施設が造られましたが 以前の街並みは土砂の山が並び 寂しい限り。 昔の賑やかな頃を知る人は 特に寂しい感じが強いのではと思います。 建物… 続きを読む
訪問記 2001年のお盆・・・ちゃんと聞けば良かった|長谷川潤一 昨日、小学生の息子の夏休みの自由研究が終わったということで、たぶん大夕張は晴れていて暑い!と一方的に思い、官行に泳ぎに行きました。 先客がいて、よく聞くと同期の田辺君でした。昔、大夕張で遊んだところは、みんな大人になってもリピーターで来るんですよね。 虻と戦いながら泳いだ帰り、鹿島小学校のグラ… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校 小学1年生 昭和29年(1954年) 鹿島小学校1年生 学級写真 白黒写真に着色した画像 鹿島小学校 音楽室での学級写真 小学時代 【小林光志】 小学校一年生・・1954年(S29年)。 伊東先生・・怖かったな~ 私も相当悪だったので 一日おきに殴られてたな。 挙句の果てに 母親が毎月呼び出されて注意され… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和48年 『団結』列車 No.4 発展する町 南部 【飯田雅人】 この場所は南部若美町の住宅群の前を走っている列車。昭和48年は,大夕張の閉山の年ですが,南部は,昭和45年出炭以来,新しい住宅もでき町としても発展していった時期でした。 昭和46年ころ,南部に引っ越した友人の家に遊びに行った時に,大夕張では,新築の住宅というもの… 続きを読む
訪問記 1997年(平成9年)お盆の大夕張|飯田雅人 今日,8月13日、大夕張へ行ってきました。 やっぱりお盆ということで、大勢の方々が大夕張に来ていました。結構、町中が人の動きでにぎやかでした。例によって、マスコミのカメラも来ていて、歩道橋の上から町の様子を撮影していました。 里帰りや私と同じように故郷を訪ね、今のうちに、目に焼き付けておこうと… 続きを読む
2丁目3番地 紅夕張嶽 2017年の1月に長谷川潤一さんがおくってくれた夕張岳の写真。 西日を受けて赤く輝く夕張岳の山々。遠い昔の人は、夕張岳に恐れと畏怖の感情を抱いたということも頷ける神秘的で神聖な姿に見えます。 自分が今住んでいるところは、札幌市でも山に近い方で、手稲山の麓に住んでいます。大夕張から祖父の家に… 続きを読む
思い出ばなし 思い出ばなし ソリと竹スケート|成田利夫 竹スケートは、良く滑っていましたよ。 値段は忘れましたが、とても安く売っていたと思います。かばんに入れて学校帰りに滑って帰ったものです。 ある日、馬ソリほど大きくはなかったですが、大きなソリで、3人で坂道を滑って、そのまま、すごいスピードがついて、カーブでひっくり返りました。 その時、私がソ… 続きを読む
昭和 1964年(昭和39年) 2月 14日、札幌線(鹿の谷~札幌三菱車庫60.9㎞)免許申請 22日,鹿島児童会館できる。(栄町3丁目)職員1,遊具施設等。3月 31日,市立鹿島高校,道立移管。北海道夕張鹿島高等学校。4月 1日,私立大夕張聖心幼稚園を富士見町(鹿島小横)に設立。s40年度園児320名教職員11名。(園長ジェー… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 運転台の親父 昭和30年頃 No.3 運転台の親父 【小林光志】 親父の若いころ・・多分1955年前後(昭和30年前後)。 このあと まもなく機関庫の管理職になったので 運転台の親父の写真は これしか無い。… 続きを読む
2丁目3番地 幕の穴から輝いていた星の記憶 『資料室-本棚-開校40周年記念誌|鹿島小学校』から、昭和43年に実施された学校行事一覧(鹿島小学校)を眺めていた。昭和43年鹿島小学校では次のような記念行事が行われました。記念誌から書き出してみました。 1記念大運動会6月2日(日)2記念学習発表会9月11日(水)~13日(金)3記念全校マラソン… 続きを読む
陳列棚 大夕張スタンプ 台紙 昭和40年代 大夕張スタンプ加盟店で使われていた 大夕張スタンプの台紙。加盟店の一覧に見られる店舗の名前が、40年代に暮らした皆さんの、当時の生活の中での様々なかかわりを思い起こさせることと思います。 表、氏名欄に『戸主』とあるのが、「この時代にそんな表現があったのか」とちょっと意外な感じがしま… 続きを読む