川と自然について|今井一郎

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 本日、夕方よりSTVテレビにて、岡崎文吉氏の川の番組を拝見しまして、最近のSTVは、この様なドキュメンタリー番組の作り方が上手くなったなあと思いました。

 『山史(三菱大夕張鉄道58年史)』を読んで来ると、土砂崩れ、橋梁流出など自然を相手に戦ってきた歴史を垣間見る事ができますが、不図、これで良かったんだろうか、と、思ってしまいました。


 私が南部に住んでいた頃、廃坑探しや廃坑めぐりが好きで、車やオートバイで、山の中のケモノ道みたいな道を進んで行った思い出があります。

 その、ケモノ道を進んで行くと、ズリ山が目に入ります。ズリ山を目標に更に進んで行くと急に視界が広くなります。低木や笹やイタドリが生い茂る、人から忘れ去られて幾数十年と経た跡地。所々に施設跡のコンクリート塊。ビンと思われるガラス片、セトモノ片、解読不明の紙切れ、ナベ・・・・。

 確かにここには人々の生活があったんだなあ。

 ズリ山の斜辺の延長には、しっくいで固められた坑口。この坑口の向うで、いったい何人の坑夫が死んで行ったのかと思うと、寂しい気持ちになって、山を下ったこと数回・・・。

 ズリ山はヤマの墓標。ズリ山もいつかは緑が生い茂り、いつかはヤマで暮らした人々の生活の事も、常に炭塵が正面から強烈に吹きすさび、キャップライトを消すと、自分で頬をたたいても他人にたたかれているような気になる、光の全くない、山水管を流れる水の音とエアーとネズミの鳴声しか聞こえない坑内も、時折あるヤマ鳴りも風化してしまうのですね。

 そして、いつかは自然に戻るのでしょう。しかし、大夕張は風化を待たずに沈んでしまうのですね。

 私の住んでいる江別では、開拓以来水害との戦いで、小学校の社会科の副読本には、江別東部の豊幌なんぞは、「大雨が降るとすぐに石狩川が溢れ、土壌が泥炭で人の住める土地ではない」と、書かれていましたが、今では新興住宅地。

 私の記憶では昭和56年が最後、堤防決壊水害ですが、根本的、建設的対策をしないまま、堤防の嵩上げだけで安全宣言し住宅地に規制解除する。

 その土地に住む人々は過去の歴史を知らない。知っていれば、いくら土地が安くても住まないであろう。

 人の力なんて自然を前にすれば無力に過ぎない。ダム建設に関しても基本的には反対である。

 確か、大夕張ダム嵩上げで江別市民も利益を得る(水道水で水利権を得たはずですが・・???)はずですが、そのため、故郷が水没する人がいるなんて思っている江別市民は少ないでしょう。

(1999年2月13日 記)


随想

1件のコメント

  • 今から20年前、南大夕張の山の中、旧若葉鉱跡をシューパロ塾の活動に参加させてもらって、訪問したことがありました。
    その時、かつて人が歩いたであろう旧道・住宅の跡や、昔のビール瓶や、破片など生活の跡をうかがわせるものが出てきたりと、こんなに身近に過去の痕跡があるのだと、驚いたことがありました。
    かつて大夕張を歩るいたときにも、それは感じたことでした。
    故郷の喪失感、誰の心の中でもそれは大きいものです。

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