月: 2020年10月

赴任の思い出と岳楓寮の食生活|山中佐喜男 思い出ばなし

赴任の思い出と岳楓寮の食生活|山中佐喜男

 昭和46年から48年の3年間、私は新卒教諭として鹿島東小に赴任しました。空知教育局に呼び出され、夕張登川小に行くように言われ、すぐバスに乗り本町にある教育委員会に行きました。  すると教育長との面接で「君は鹿島東に行ってもらうよ」との一声で、大夕張との運命的な出会いとなったのです。  当時、登川が…
大夕張秋暮色 パノラマ

大夕張秋暮色

昭和49年(1974年)頃 大夕張パノラマ 富士見町方面栄町方面代々木町方面緑町弥生町方面岳富町・千年町方面  閉山後まだ間もない時期に横山幸一さんが撮影したパノラマ写真。  礦業所、弥生町や富士見町の4丁目~6丁目にあった住宅はすでに取り壊され空き地になっています。大夕張の主だった建物は、まだ残っ…
美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #6 清水沢線(下り)清水沢発車庫前行き(菊水経由) 音の風景

美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #6 清水沢線(下り)清水沢発車庫前行き(菊水経由)

昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 清水沢発 清栄町 → 住之江町 → 遠幌 → 岳見住宅前 → 北菱 → 若美町 → 新緑町 → 案内所 → 菊水町…
チョロQになった『夕鉄バス』 交通関係

チョロQになった『夕鉄バス』

 2002年頃、チョロQブームで道内の各社バスのチョロQがでた。その中の一つに『夕鉄バス』があった。  夕鉄バスの絵を子どもの頃、クレヨンでよく描いた。  色は、赤と白の二色。白は塗らなくてもよいので、使うのは赤だけ!  そして、なんといってもデザインがいい。バスの前面に描かれた逆三角形の鋭い3本の…
アパートちゃん |高橋正朝 #9 続・大夕張つれづれ

アパートちゃん |高橋正朝 #9

 私が、鹿島東小学校の1年生のときに、我が家にラジオがあったかどうか定かでない。  当時としては、簡単に購入できる品物ではない。2年生になって夏休みが始まるころには、ラジオは茶箪笥の上に鎮座していた。  NHK 第1放送と第2放送は、わりとよく聴こえたのだが、他の民間放送局の番組は、日によっては雑音…
チョロQになった『美鉄バス』 交通関係

チョロQになった『美鉄バス』

 昔、大夕張を走っていた三菱鉱業バス。  『三菱(鉱)バス』の表記、自分にとっては、『三菱(砿)バス』がもっとも馴染み深い。  薄緑と青みがかったグレーの昭和30年代の三菱バス。その背面の窓の上に書いてあった、『三菱(砿)バス』の文字と、前面の行き先表示の『砿業所前』の文字で、『砿』の字を覚えた。 …
南部小学校 学び舎の思い出

南部小学校

平成2年(1990年)閉校の年に 子供達が 通ってた 南部小学校 【Kawauchi Masami】(2020年9月30日)  1990年、南部小学校と遠幌小学校が、統合になり、遠幌寄りの、岳見町に新校舎(幌南小学校)が建ちました。  しかし、1990年3月閉山により、私は、5月に札幌へ移り、6月か…
心の原風景|菅井宏史 随想

心の原風景|菅井宏史

 坂道、それも急で長い坂道を登っていると、ふと心が回りの景色から離れ、小さい頃、息を切らせてよく登っていた坂道のことなどが、心に浮かんでくることが、以前から度々ありました。  大夕張の坂道、「そういえばあの頃の生活には、いつも坂道があったなあ」と。  生まれたのが、常盤町の一番山手にある住宅でした。…
南部 東町 住宅地図 (昭和43年) 南部

南部 東町 住宅地図 (昭和43年)

昭和43年の住宅地図。 この年の住宅地図には、大夕張地区と、南部地区が同じ版に掲載されています。南部地区新鉱開発が始まった頃。ここには、新鉱開発用事務所ができています。 南部東町(昭和43年|1968年版 住宅地図)…