青春 アルバイトの思い出|ziny
2020-12-19
2022-03-30
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夕張東高校・・・・雪の降った日の登校風景は、砂糖の丘を一列になって登る
蟻の行列の様。
一列で前の足跡を踏みながら、雪の坂道を上る様子は、まさに、蟻です
ねー・・・、鹿島の勤勉な蟻の姿そのものです。
しかし、暖かい部屋でギターを弾いていたキリギリスもいたかもしれませんが・・。
東高5期、昭和44年卒です。
冬休みなどはアルバイトは色々行きました。兄貴たちや友達と、出面取りでした。
大夕張駅前に朝の7時30分頃??
弁当をもって顔を出す(出面)と、○○建設などのトラックがいて、今日は何人などと、トラックに乗せられ、山の中の林道の除雪や、鉱業所の中のコークス工場でのコークスの掻き出し、坑木担ぎ・・・などにつれていかれました。
皆、大変な肉体労働でした。
が、若さが資本でした。コークスは暖かったけど、ほかは寒かった。
坑木は、坑内の坑道を支えてる丸太です。坑木担ぎの仕事は、6尺、8尺の長さの丸太を、鳶口で引っかけて
担いで移動させるのですが、6尺の坑木でも重量50~60kg以上はあったと思います。
ちょっと間違うと大怪我もの。今思うと、大変危険な仕事でしたね。
バイトで稼いだお金で、古賀ギターを買いました。
ギターピースの楽譜なども買いました。
どちらも今でも使ってます。この音楽店は本町にあったと思いますが、名前は忘れました。
どなたかご存知でしょうか?十字屋は清水沢のスポーツ店でしたよね。
当時は学校でも色々ありまして、友達と授業をさぼって、東高の土手の上で、シューパロダムを眺めながらギターを掻き鳴らしていた思い出もあります。
まさに青春でした。
(2012年3月9日 記)