昭和10年代 冬山スキー行事
2021-01-22
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昭和10年代、大夕張でただ一つの学校だった、大夕張尋常高等小学校。
戦時体制が進む中、名称も昭和16年(1941年)大夕張国民学校へ、そして昭和17年(1942年)には、鹿島国民学校へとかわる。
当時、時代の風潮を反映し、体力、精神力強化のための教育が重視された。そのため、鹿島小学校においても、体育的行事が重視され、『夕張岳登山』・『冬山の夕張越えスキー行事』・『水泳宿泊教室』などが、年間計画の中に位置づけられ、実施されたという。
特に、高等科では最終学年、男女とも礦業所裏山の鹿島沢を経て、送電線附近の山道を超え、夕張に出て、さらに鹿の谷、清水沢、南部を歩き続け学校にもどるという強行軍の行事も実施された。
校長として写っている伊澤豊久は私の曾祖父です。私は会うことは出来ませんでしたが、孫にあたる母から夕張で教員をしていたことは聞いていました。家族にとって貴重な写真を見せていただき感激しております。ありがとうございました。
祖父長谷川安造にとって昭和13年(1938年)に大夕張に赴任したときの校長先生で、たいへんお世話になったと生前話していたことをよく聞いたことがあります。若かった祖父にとって印象の深い校長先生だったようです。
晩年、卒寿を迎えた際、随想集を自費出版しましたが、その中で伊沢先生との思い出を顔写真とともに掲載していました。
こちらのHPにも掲載しています。