月: 2021年2月

「奥鹿島分校の歌」の作詩者|浅野岳男 随想

「奥鹿島分校の歌」の作詩者|浅野岳男

 「奥鹿島分校の歌」の作詩者浅野明信氏について。  奥鹿島分校の歌、作詞は次兄浅野明信です。 この度、曲に耳を傾けながら、在り日しの次兄に想いを巡らし、作詞に目を通しました。   奥鹿島分校の歌 奥鹿島分校の歌 (浅野明信 作) (一)  まばゆく 朝日を あびている  夕張岳の 山すそで 元気に育…
奥鹿島分校の歌 校歌よ永遠に

奥鹿島分校の歌

昭和41年1月23日制定  (作詞)浅野 明信 (作曲)武田 謙 【昭和30年代奥鹿島小学校の文化活動について】  昭和32年、4月鹿島東小学校奥鹿島分校として開校した。  この年、6月に屋外運動場が完成。    昭和33年9月、台風21号で教室の屋根の三分の二が飛散する。    昭和34年9月、台…
氷の下面の曲線模様 | 高橋正朝 #26 続・大夕張つれづれ

氷の下面の曲線模様 | 高橋正朝 #26

 我々団塊の世代の少年時代、晩秋のころ、すなわち、10月になると、日中、道路に溜まっていた水が夜の間に氷になり、朝、その氷をバリバリと音をたてて踏みつけながら、鹿島東小学校に登校した。    氷ができる、とはいっても、午後には融けてしまい、翌朝になったら、また氷ができている ••••••。    そ…
昭和61年(1986年) 大夕張の面影 映像

昭和61年(1986年) 大夕張の面影

https://youtu.be/24go9gVSQ5U  昭和61年10月。快晴の大夕張。  シューパロ湖畔から大夕張をめぐる故郷再訪の旅は始まります。  見ているあなたも、いつのまにか撮影者の視点に同化し、一緒に街の中を駆け巡っていることでしょう。  全編、ほぼノンストップの大夕張の車窓風景。 …
小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木 随想

小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木

 小生、大夕張の思い出のカリンズ・グズベリ、グミ等の果樹を、小さな庭に植えて、当時を懐かしんでおります。  霜が降りたら「コクワの実」が丁度、美味しく、良く近所の悪ガキと一緒に、便所場球場の山に、収穫に行きました。  他に、山葡萄、胡桃等も取りましたね。  内緒ですが(時効?)、弥生町の端の坂道の下…
食憶 (番外編「CM」)|長谷川潤一 食憶

食憶 (番外編「CM」)|長谷川潤一

 CMといえば、大夕張鉄道の車内でロケをした、三菱グループのCMを思い出します。  HBCでやっていた、朝のワイド番組でながしていたもので、外人さんが客車に乗ってきて、他のお客さんと何か話しをしようとしたところ、みんな驚きとまどって顔をそむけるように避けてしまう。  外人さんは、気持ちも言葉も通じず…
昭和38年シューパロ湖駅ホームから 思い出の街角

昭和38年シューパロ湖駅ホームから

 シューパロ湖駅ホームからシューパロ湖を望む。  遠くに三弦橋、右手前に湖畔亭が見える。シューパロ湖の駅名標も映り込んでいる。 白黒写真に着色した画像 手前にシューパロ湖畔の小公園。整備の途上にあるような様子が見える。 https://ooyubari.com/2021/02/10/s38syupa…
夕張市の鹿島とは|あさのたけお 随想

夕張市の鹿島とは|あさのたけお

 12月24日21時に、関東地方のテレビ局「テレビ朝日」で、映画「北の零年」が放映されるようです。  物語は、明治維新に生きた先人の、大切な歴史上の物語です。  しかし、大夕張住人にとって懐かしい場面が、蘇ることでしょう。途中に夕張岳が映像画面に出てきます。  葬式場面は、冬の凍ったシューパロ湖にて…
昭和37年シューパロ湖駅待合室 楽しかった日々

昭和37年シューパロ湖駅待合室

 シューパロ湖駅待合室前で。開業したばかりの頃でしょうか。  待合室の中からシューパロ湖を見ている人達、袋を下げた観光客のような人たちもいます。  父とつないだ男の子の手には、当時子どもたちに人気のあったグリコのお菓子が、しっかりと握られています。 白黒写真に着色した画像 待合室の向こうはホームが見…
乙女の姿・・・ |ziny 思い出ばなし

乙女の姿・・・ |ziny

 この寒い時期は家の中で遊ぶことが多く、昔、お正月はカルタ遊びで過ごした方も多いと思います。  我が家では、よく百人一首をしました。  また、町内会対抗試合にも、出さされ、詰所の冷たい畳の上で戦いをした記憶があります。  1チーム3人で、攻め(5,6枚)、中堅(15枚くらい)、守り(30枚くらい)で…
カルタ大会 楽しかった日々

カルタ大会

昭和40年代 大夕張の子どもたち。冬には、百人一首やカルタで遊んだ。お正月や、冬休み期間中には、大夕張の各町の詰所や集会所等でカルタ会が、盛んに催された。板カルタ、下の句読みが主流だった。 白黒写真に着色した画像 大夕張の子どもたち 昭和41年冬 町内会対抗「下の句カルタ大会」 協和会館別館で行われ…
百人一首 |石原賢治 思い出ばなし

百人一首 |石原賢治

 定番の『全国共通かるた』ですが、九州出身のわが家にあったものは、読み札に、公家だの、姫様だの、坊主などの作者の絵がかかれていまして、『坊主めくり』などという、お坊さんには大変失礼な遊びをしていました。  裏にした読み札を、順番に1枚ずつめくり、坊さんを引くとそれまで貯めた札を出し、お姫様が出るとそ…