思い出の街角 昭和43年 千年町駅 千年町駅は郵便局や駐在所のあった商店街がならぶメインストリートからやや明石町よりのところにあった。 昭和25年11月1日、千年停留所として開業。 昭和35年3月21日千年町駅になり、昭和45年無人化された。 昭和48年三菱大夕張炭礦閉山のため、12月16日営業廃止となった。 当時,駅長… 続きを読む
訪問記 同期会と川遊び|池田憲治 2001年6月3日 準備 高橋さんの『シューパロのカヌー下り』など、このような遊びかたもあったのですね。 私も若かったらやってみたいな。 感動でしたね。紅葉で、水量の普通のときは最高でしょうね。 鹿島橋の近くまで、車は行けますか。 河原までどのくらい藪漕ぎがあるでしょうか。 今日、ホテ… 続きを読む
夕輝文敏 迎え人(びと)|夕輝文敏 ) 五月晴れのある日、洗車をしていると、女の子が近づいてきて、 「お父さん、ドライブに連れて行って」 と少し大きな声でいった。 周りを見渡すと洗車場には私しかいなかった。 女の子は私の前で立ち止まると、にっこりと笑った。 しばらく私はその子を凝視した。 間違いない… 続きを読む
写真 シューパロ湖 朝光|魚住 劭 撮影者、魚住劭(ウオズミ ツトム)さんは、札幌在住のアマチュア写真家。夕張出身者の方ではありません。 天候を予測して、早朝札幌を発ち、撮影地点で日の出を待って撮ったのだそうです。 なかなか出会える情景ではないと思います。奇跡的かも・・… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 蓄電池の硫酸|高橋正朝 #54 私が、鹿島東小学校4年生の初夏のころ、学校から帰ったら、玄関に見馴れないものがあった。 蓄電池である。 父親は、すでにオートバイを持っていたが、玄関にあった蓄電池は、そのオートバイ用ではなかった。 その蓄電池は、自動車用で、誰かから充電を依頼されたもので、我が家で充電している最中だった。 … 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 保養所 大夕張駅前,緑町にあった建物。 鉱業所の保養施設。薬湯・紫外線浴室サンルーム(太陽燈室)などが備えられ、従業員の病後の回復・健康増進のための施設。 付属して温室などの建物もあった。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅前、緑町詰所の横にあった。右手の付属の建物は温室。 保養所 【泊川俊徳】 … 続きを読む
随想 故郷との邂逅 | 野口美代子 先週の13日、会社の昼休みにインターネットで遊んでいましたら、偶然、ここを拝見させていただきました。 昭和24年大夕張栄町生まれ、鹿島小学校・鹿島中学校・夕張東高4期卒業、そして上京。 閉山の昭和48年まで両親は栄町に住んでいました。 私は、昭和43年に夕張東高校を卒業して上京、そのまま東… 続きを読む
思い出の街角 開拓地 昭和20年代。 背景の空は合成だが、雲がかかっていなければ、左に前岳がうつっていると思われる。 木を切り倒し、笹をかりとって土地をひらいたようなあとが見て取れる。 白黒写真に着色した画像 撮影年、場所等、詳細不明… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和48年鹿島中学校教職員 昭和48年、この年の夏に三菱大夕張炭鉱は閉山しました。生徒数、教職員の数もこれを境に激減しました。 白黒写真に着色した画像 昭和48年鹿島中学校教職員写真 (最上段) 藤田宗義・②・宮崎寿美子・井上正・渡辺乃里子・久々湊淳・小林道博 (3列目) 高田義孝・新明修一郎・佐藤進・小見あや子・斉藤宏… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和25年鹿島小学校 昭和25年 鹿島小学校の木造校舎。手前に、できて間もない木造のカトリック教会。裏は、畑として利用されているようだ。 小学校のグラウンドでは、授業中だろうか、女の子たちが、今で言う、「ベースボール型ゲーム」、昔の三角ベースの野球を楽しんでいる。ベースの後ろにいる子がゲームの進行に関係なくおしゃべ… 続きを読む
本棚 二十年史|大夕張炭鉱労働組合 【署名】 『二十年史』 【発行】 大夕張炭鉱労働組合 【発行日】昭和41年(1966年)8月1日 【紹介】 組合20周年を記念して、組合誕生から、昭和40年頃までの労使関係の動きをまとめてある。 資料や、当時存命の人たちに取材した大夕張炭坑時代や、戦中、戦前の大夕張の記述は具体的で興味深い。… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ川 川遊び 昭和30年頃 本間正雄さんが、シューパロ川上流に泳ぎに仲間といったという際の懐かしい写真。 年上らしい二人の人物がうつっているが、筋肉質のたくましく、がっちりとした体つきをしている。 知り合いの子どもたちをつれての川泳ぎだったのだろうか。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
随想 快い響き|池田憲治 ”大夕張”(おおゆうばり) それは私のように遠く離れている者には、すごく快い響きの単語です。 私は、樺太真岡の鉄道官舎で生まれました。 「九人の乙女」の内の一人伊藤千枝は親類です。 今、私は愛知に住んでいますが、近くに住んでいる叔母は、私の家族と共に移転するまでは、樺太真岡の郵便局に勤めて… 続きを読む