私の故郷 | ゆかり ジャーモン

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 私は今アメリカのテキサス州ダラス市の会社からこの手紙を書いてます。

 
 私の旧姓は藤井ゆかりです。私は昭和36年に夕張市で生まれました。

 
 私が物心ついた頃は、夕張市花園町(その後、遠幌町に変わったかもしれない)に住んでいました。

 私の叔母や叔父や祖父母は大夕張に住んでいて、そのうちの猪野泰次・操は、叔父と叔母で代々木町に住んでいたと思います。

 そして、母と話した所、私の祖父藤井要次郎は、春日町の風呂屋の釜炊きをしていたそうです。

 母と話しているうちに、色々と知らなかった大夕張のことを知ることが出来て、私の心の中の夕張への思いがキューンとしました。

 私が覚えていることの一つは、私は遠幌小学校に通っていました。

 その小学校は山のてっぺんにある感じで、”心臓破りの坂”を上っていった事を覚えてます。また、冬に体育館で行われた朝礼がとても寒く、床がスケートリンクの様に凍っていたのを覚えてます。

 

 
 私が小学校6年になる頃に、私の家族は千葉県松戸市へ引っ越しました。私の叔母や叔父たちも、みな内地に引っ越しました。

 私が遠幌小学校に行っていた頃、一年から私が転校する5年生まで、松組1クラスでした。

 私は千葉県松戸市の小学校6年生に転入しましたが、10クラスもあり1組、2組となっていて、すっごいカルチャーショックを受けました。

 今でも友達にその話をすると珍しがられて笑われますが、そんな小さな山の中の学校へ5年間行けたことをとても嬉しく思います。

 
 私が松戸に引っ越した時、夕張のような自然が全く無く、何をして外で遊べば良いのか全く分からず、とてもつまらなかったです。

 
 夕張は私の心の故郷で、とても懐かしく、恋しい所です。子供の頃、夕張に居たことが一番私にとって楽しく幸せな時だった様に思います。

  
 私は松戸に引っ越して以来、まだ一度も夕張に戻ってません。

 

 戻りたい気持ちはとてもあるのですが、母からの話では、私たちが住んでいた所は跡形も無くすさんでいて、行ってもさびしい思いをするとのことでした。

 
 昔の大夕張の写真を見たりして本当に懐かしく涙が出てきそうです。

 これからも少しでも夕張の忘れていたことを思い出すことが出来る様、楽しみに読んでいきたいと思います。

テキサス州ダラスにて

 

(1999年4月6月の投稿から)


随想

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