炭鉱の言伝え |Kawauchi Masami

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 嘘か本当かは分かりませんが、私の兄、次男が言っていたことです。

 まず、

 三菱の職員住宅は、後ろが山で、暴動が起きても責められ難いとか、

 大夕張の街には、鉄道でしか行けず、道が無かったのは、昔、タコや朝鮮人が連れて来られて、逃げられない様にしていたとか、

 戦争が終わった、終戦後、引揚者が多く、失業者に困った国は、読み・書き、出来る者は、国鉄に。 読み書き出来ない者は、炭鉱に就職させて、引揚者が定年の頃、国鉄は民営化に、炭鉱は、閉山になったとか。

 

 まんざら 嘘でも無く また 有り得ない 話の ようです。

 

 昔、タコの話を、聞いた事があります。

 鉄道の下には、何人のタコの骨が 埋まっているか、分からないとか、

 食べるのに、困った時代で、『シャケ弁当、食わせてやる』と言われ、連れて来られた、タコもいたとか。

 病気や怪我すると、薬代が勿体無いと、生きたまま埋められ、見せしめにさせたりとか、

  

 今じゃ考えられないように、残酷だった様です。

(2021年10月29日 記)


(筆者紹介)

昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。大夕張で少年工として勤務し、昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。


思い出の記

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