月: 2021年10月

炭住とダイコン干し (緑町)  思い出の街角

炭住とダイコン干し (緑町) 

 昭和37年頃の晩秋。  テレビアンテナと傘のついた煙突。煙突から立ち昇る白い煙。冬の訪れも近い。  秋の陽射しを受けてダイコンの簾が窓いっぱいにおおう。  出窓の上にのっているカボチャがまた秋らしい。  庭先に、コスモスにも見える植物が、花を咲かせている。  場所は、緑町浴場の裏にあった、緑町2丁…
ダイコン干しの一服 楽しかった日々

ダイコン干しの一服

昭和30年頃 春日町。 前回の『ダイコン洗い』の住宅と同じ家の屋根の上だろう。   冬の漬物用に縄であまれたダイコンをつるし、その後の一服なのだろうか。が、それにしては、靴も、服も余所行き(ヨソイキ)過ぎる。撮影用に屋根に上がった?    片手に煙草をもってのんびりと座る一家の大黒柱たる主人と、そば…
故郷への想い|カメ 思い出貼

故郷への想い|カメ

大夕張の紅葉。   例え様も無く綺麗だった。  箱根や京都の紅葉の比では無いと思う。  澄んだ水を満々と湛えるシューパロ湖。  そしてその湖面に映る紅葉と夕張岳。  そんな事を想っている大夕張住民が沢山いるんだろうな。  故郷は遠きにありて思うもの    ・・・・・・なのかな。 (2010年10月1…
ダイコンの収穫 楽しかった日々

ダイコンの収穫

 昭和30年代 春日町清明寮前の畑と思われる。  畑にダイコンやトウモロコシを植え、秋になると収穫していました。 白黒写真に着色した画像   ダイコン収穫の親子     春日町、清明寮とその前の畑 https://ooyubari.com/2021/03/25/seimeiryo/…
夕鉄バスの記憶|乗田功一 思い出ばなし

夕鉄バスの記憶|乗田功一

   子供の頃、冒険心を起こし親に内緒で一人で、夕張へ行ったことがあります。    当然、お金もないので、清水沢までは汽車で(当時、回数券が会社より支給されていたのでタダで乗車できました)行き、そこからバスに乗り換え夕張へ。     適当に町をブラついたあと、帰りは逆のコースをとるべくバスへ乗車しま…
ダイコン洗い 楽しかった日々

ダイコン洗い

昭和30年頃 春日町のどこからしい。 10月頃だろうか。 秋晴れの日を見つけて、ダイコンを素手、たわしでごしごしと洗い、縄でダイコンを編む。そして軒先にすだれのように干した。 今でもこの時期、外を歩いていると近所でも縄に編んだダイコンが干してあるのをみることがあるが、滅多にみなくなった。 大夕張から…
《思えば遠くへ来たもんだ》|  ziny 随想

《思えば遠くへ来たもんだ》|  ziny

 私の大夕張から旅立ちの光景。  今から42年前の3月、大夕張を朝7時過ぎでしたか、大夕張駅前のバス停で、バスケの仲間からケネディ大統領の文庫本を渡され、送られた記憶。  地面は雪でガリガリ。  札幌まで、今は亡き親父が送ってくれました。   バスの中で、小川知子の「初恋の人」が流れていたのが、今も…
閉山直後の大夕張駅 思い出の街角

閉山直後の大夕張駅

昭和48年閉山直後に撮影された大夕張駅。 鹿島小学校側から大夕張駅ホームと改札口。 白黒写真は、鹿島小学校の郷土室に保管されていたものだったが、痛みがひどい。 修正して着色した。   白黒写真に着色した画像 鹿島小学校グラウンド側から撮影した大夕張駅 なお、同じ頃、カラー写真でとられた同じ構図の大夕…
最後の記念写真 |斎藤敏幸 思い出ばなし

最後の記念写真 |斎藤敏幸

   栄町アパートには、東高を卒業するまで住んでいました。    当時の住所は、栄町2丁目14番地の8です。    ここには、元木造の八軒長屋が建っていましたが、それらを取り壊して立てられたものでした。    私は、小学校に入る前年に、新築時に入居しました。  コンクリートブロックの住宅は、当時とし…
鉄橋を渡る列車 運んだ、石炭を人を

鉄橋を渡る列車

おそらく大夕張ダム完成以前の旧橋だと思うが、鉄橋を渡る列車。 荒々しい山肌と、そこにかけられた鉄橋が、石炭を運ぶ目的で奥地に向かって作られていった鉄道の事情を感じさせる。 場所不明。 白煙は後付け加工。 白黒写真着色した画像 谷にかかる鉄橋を行く蒸気機関車…
夜空を見上げて |石原賢治 随想

夜空を見上げて |石原賢治

 私の住む所は、最近晴天続きで、晴れ晴れしております。  夕方の帰宅の頃、空を見ますと、大きな月が出ておりました。  満月のようですが、ちょっと欠けてるのかな? という感じで、カレンダーを見ると、確かに旧暦の15日でした。  そういえば、最近夜空を見ても、月明かりはあっても、星を見る機会がないなと思…
栄町の通り 思い出の街角

栄町の通り

 大夕張の写真を見ると「ここはどこだろう」と、まず最初に、自分の記憶と写真の場所を結びつけようと頭の中で考える。  当然、限られた体験の中で、知ってはいるけどいったことがない場所や、知らない場所が多い。  この写真は、見たとき、「あ、あそこだ」とすぐに思えた場所、のはずだった。    富士見町6丁目…
父の事故 |内川准一 随想

父の事故 |内川准一

 昭和35年の夏のこと、採炭夫の父は2度目の事故にあった。  大夕張の夏祭りの夜のことだった。   代々木町のアパートの間に架けられた巨大スクリーンで、屋外映画を見ていた私と妹は、会場内放送で呼び出された。   何故呼ばれたのかは、炭鉱の子供にはわかる。    詰所の人が、 「お父さんが(発破)事故…