炭鉱とともに 昭和48年 スナック『しのぶ』と味の店『はるみ』 この年、1973年(昭和48年)4月19日に会社から閉山提案。 世帯数3246のうち、商店、2百数十世帯が、炭鉱とともに生活してきた。 町全体の存亡の危機の中、商店も5月28日に行なわれた炭労のゼネストに参加したという。 閉山阻止の運動もむなしく、8月大夕張炭鉱は閉山となった。 写真は、岳富町商… 続きを読む
随想 幼き記憶の大夕張|三浦浩信 私は、昭和39年に、代々木アパートというところで生まれました。 祖母は当時 "たつみ" という焼き鳥屋を経営しており、私は、祖母の家に幼い頃しばらく滞在していた記憶があります。 母は男1人・女2人の3人兄妹の長女で、旧姓「山田秀代」と言います。 私の記憶の中に、今でも当時の事で憶えて… 続きを読む
楽しかった日々 窓の除雪 昭和40年頃、富士見町6丁目。 一番山の高いところにあった住宅。 遠くに炭鉱病院と、栄、代々木の住宅がみえる。 家族総出で窓の外の雪を取り除き、広げる作業に励む。… 続きを読む
思い出ばなし 窓に迫る雪山|斎藤敏幸 栄町ブロックでも良く雪はねをしました。 雪をはねる場所がなくなると、段はねをするのですが、その度に向かいの棟の1階の窓に雪山が迫り、大変だったのではと、今頃痛切に思っています。 1階に住んでいる人たちは、雪山で外は見えないし、暗いし、早く春になって、雪が溶けるのを待っていたのでしょうね。 あんなに雪… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 農場前臨時乗降場 昭和30年頃 桜ヶ丘方面と行き来する乗降場であったのだろう。対岸の桜ヶ丘方面に行くには、尚、崖の道を下り、シューパロ川にかかる細いつり橋を渡らなくてはいけなかった。 写真を拡大すると、制帽をかぶった鉄道員らしき人物や乗降する複数の人が見える。 白黒写真に着色した画像 後のシューパロ湖駅より… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 新型コロナのワクチン接種 | 高橋正朝 #70 一昨日( 2021年12月16日 )に、第2回目の新型コロナワクチンの接種をしてきた。 接種会場は、BKK のバンスーという駅である。 新しい駅で、まだ開業していない。 だからこそ、ワクチンの接種会場にしたのだろう。 BKK から、タイの東北地方への玄関口になる。 広さは、上野駅、新宿… 続きを読む
思い出の街角 3号つり橋から橋を渡る列車 昭和30年頃 桜ヶ岡から、シューパロ川にかかる『3号つり橋』の上からちょうど、列車が大夕張方向に向かってやってきた。 目の前に見えるのは、五十鈴沢橋だろう。 大夕張ダムによるシューパロ湖が生まれる前の様子。 昭和32年まであった『農場前臨時乗降場』に続いたという崖の道も見えている。 白黒写真に着… 続きを読む
随想 ドカ雪 |ziny 空を、上を、見あげて 電信柱に降る雪は、いつまでもきれいに降る雪でした。 (周りは闇) (80ワット?オレンジ色の電球に降る雪) (体感温度、マイナス13度かな。鼻が紅く、少しふっつく。) ただ、・・・白いものが・・雪が降っていました。 とけて、煤をうけてくろくなる・・・当然・・・生活の色でした… 続きを読む
あらかると 大夕張鉄道 沢と橋(山史から) 1号の沢鶯 沢2号の沢吉 野 沢3号の沢五 十 鈴 沢4号の沢香 椎 沢8号の沢明 石 沢5号の沢旭 沢6号の沢竜 田 沢7号の沢宝 沢名 取 沢初 音 沢昭和2年11月4日名称を付す 明石沢は、当初暗渠布設の予定だったが、これを橋梁に変更したため、… 続きを読む
思い出ばなし 宝町の標語塔 | 湯浅純人 わが故郷大夕張・・・。 駆け回った野山、泳いだ川、遅くまで遊んでいてよく親に家から出されたっけ。 生まれてから中学校を卒業するまで住んでいた大夕張は、私にとっての原風景です。 ところで宝町の岳富町に下りていく所の広場にあった、 「子は宝 錦のこころ 千年まで」 という標語が書いてある塔(… 続きを読む
学び舎の思い出 思い出のアルバム 若き東小の先生たち 私の叔母が鹿島東小学校の教員をしていました。(昭和28年~昭和31年) 同時代の若き先生方のお姿です。 長谷川渺子先生・澤田敏枝先生昭和28年7月11日 登別駅前 向かって左から長谷川渺子先生・湯浅純治先生・斉藤(田口)利子先生・深浦(湯浅)重子先生昭和30年11月 長谷川渺子先生・斉藤(田… 続きを読む
思い出ばなし 大夕張でのスキー|山本栄子 私も60年前(小学生迄)、冬は毎日の様にスキー場に行ってました。 確か神社があり、そこから転ばぬ様に、かなりのスピードで滑り降りるのがベスト。 ロープリフト ロープにつかまって上がり、神社のある上迄行き滑り降りる単純な繰り返し。 手袋も雪がいっぱい、鼻水も。 今のようなスキーウェアも無く、寒… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 列車を乗り換える 『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや乗客達の姿を写した5枚の写真のうち、「4 列車を乗り換える」の写真に着色したものです。 白黒写真に着色した画像 もとの白黒写真をみるにはこちらのページから↓ https://ooyub… 続きを読む
思い出の記 昭和60年頃のビデオとスキー場そり遊び|Kawauchi Masami 昭和 50年ごろ、8mmが欲しくて迷っている時、世の中にビデオカメラが出てきました。 直ぐ買いました。 昭和53年の時です。 その時はカメラが28万円。しかし ビデオデッキが無ければ使えませんでした。ビデオデッキも28万円しました。 でもカメラに覗き窓だけで、ピントはテレビの画面見て合わせま… 続きを読む
炭鉱とともに 坑口 昭和30年前後に撮影されたもののようだが、場所、その他詳細不明。 ケーブルに巻上機が設置されていて、坑口の周辺は資材が散乱し、使われているようにみえない。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
思い出ばなし 雪に埋まりました!|ziny いやぁー、あの頃は本当に雪が降りました。 もうー半世紀・・50年も前ですね。 昔は家の前に、雪はねの場所を先に作ってから、雪かきでした。 前の家が見えなくなってました。 玄関先のつららは、2~30cm位の太さでぶら下がってました。 当時、私は家の裏に回っていたところ、突然、屋… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和30年 鹿島小学校学芸会 1955年(昭和30年)10月9日、日曜日に行なわれた、鹿島小学校の学芸会。 当時の低学年、1年生ないしは2年生の出し物。 舞台の上での演目は、なんだろう? 舞台中央でうずくまっている子が演じるのは、ねずみ?クマ?。 周囲にはお寺の和尚さんと小僧さんたちを演じる子どもたちが踊っている。 … 続きを読む
随想 大夕張の教会 |山本栄子 今から60年以上も前、初めて大夕張カトリック教会のクリスマス会に行きました。 シナモン味のドーナッツだと思うのですが、ニッキ味とは違い、生まれて初めてのシナモン (多分その当時はシナモンすらわかってなかった?) この世の物か?と思いました。 6年生の冬、捻挫をしてしまい病院に行く為、母を… 続きを読む
思い出の街角 冬の栄町ブロック 昭和40年頃、雪に埋もれる栄町アパート。下の、ピリカおじさんの回想によると、栄町1丁目~2丁目の4棟だろうか(健保会館前庭の向かいあたり)。向かいのブロックの窓から身を乗り出して撮った写真と思われる。前岳の裾の方がなんとかうつっている・・・。 深い雪におおわれた、とびきり日差しが強くて、雪光の反… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 汽車にハネられそうになった小型トラック|高橋正朝 #69 この話は、私が10年ぐらい前に、鹿島中学校の1年生のときと2年生のときに同級生だった女子生徒に、バンコクから電話した際に聞いた話しだった。 そのときは、大して気にも止めずに聞いていたのだが、〘 ふるさと大夕張 〙にそのことを投稿せんがため、それを了解してもらうことと、不確かだった内容… 続きを読む