月: 2022年2月

ペナン島の大夕張出身者|泊川俊徳 随想

ペナン島の大夕張出身者|泊川俊徳

昨年暮れに、スマトラ地震での津波でタイ近隣の島々が多大な被害があり、死者10万とも言われています。 昭和61年か、62年か、どちらの年だったか、夏の頃、鹿島小学校校庭で、二人の多分、65歳は過ぎていたと思われる 女性二人に話し掛けられました。 「終戦後、間もなく大夕張からペナン島に移住し暮らしていま…
富士見町6丁目から 思い出の街角

富士見町6丁目から

昭和40年頃、富士見町6丁目の山から鹿島小学校方面をみる。 清水の遊び場  富士見町6丁目は住宅のどんづまり、礦業所のすぐそばという印象がある。住んでいた家の裏手には山が迫り、小学校低学年から中学年にかけて、春夏秋冬ここが遊び場だった時がある。 この写真の真ん中、住宅と山の境目に小さな坂が見える。 …
2022年2月16日でのアクセス数 2丁目3番地

2022年2月16日でのアクセス数

 どうでもいいという話といえば、これはどうでもいい話なのですが、サイトを運営する者としての自分の記憶と記録のために書き留めておきたいと思います。    『ふるさと大夕張2丁目3番地』のアクセス数が、昨日の昼頃『1.311.036』となりました。     『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』のカウンター…
八百五十のゲレンデ 思い出の街角

八百五十のゲレンデ

昭和30年 八百五十のゲレンデ。 白黒写真に着色した画像   八百五十  【小笠原 憲】 1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬…
二人用学校机 |飯田雅人 思い出ばなし

二人用学校机 |飯田雅人

 机!  鹿島小学校低学年の頃は、上から重い蓋を持ち上げて、中に道具を入れるタイプの机だった。  真っ黒で木肌がごつくて重い机。  しかも二人用ので、2人の席はしっかりつながっていた。  動かすのも、一人の力では無理で二人で一緒に動かした。    高学年の頃からか,上に蓋のついた机から、天板の下に道…
閉山の記憶 思い出の街角

閉山の記憶

昭和48年(1973年)の三菱大夕張炭鉱閉山後、春日町をはじめ、弥生町、緑町等の従業員の炭鉱住宅は取り壊された。 住宅が取り壊されていく様子は、遙かなる思い出の故郷の10分47秒のあたりから数十秒間、映像の中でも映っているが、閉山後一気に取り壊し作業は進められていったことだろう。 平成9年に鹿島小学…
たつみのひろちゃんへ|大夕張寅次郎 随想

たつみのひろちゃんへ|大夕張寅次郎

 幼き記憶の大夕張の三浦浩信さま    「たつみ」は岳富町にあったように記憶しています。  叔母さんの山田久美子さんは、東高の2期生でバレー部で活躍されていました。 とても元気で溌剌とした高校生時代のお姿を思い出しますが・・残念です。   ご冥福をお祈り致します。   叔父さんは、東高で事務のお仕事…
1997.5.10 大夕張のまち 写真

1997.5.10 大夕張のまち

平成9年(1997年)5月に大夕張を訪ねた時のかつての駅前。 どうということのない一地方の町の姿のようにみえるかもしれない。   自分が暮らしたあの盛んだった頃のまち・・・という名のフィルターがかかり、その落差にとまどった。 今から25年前のまち。 土曜の日のお昼頃、歩いている人の姿をほとんどみるこ…
私が住んだ街 |太田 勢 思い出ばなし

私が住んだ街 |太田 勢

 私が大夕張に住んだのは、小学校2年生からの4年間でした。   両親が夕張出身(遠幌、楓)で、祖父母も夕張に住んでいたので、夕張には小さい頃から何度も行ってました。  そんな私が、父の転勤で初めて住んだ夕張の地が、大夕張でした。   私が住んだのは、富士見町6丁目の一番奥でした(家の裏は沢でした)。…
祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子 思い出ばなし

祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子

 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり、当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。  大夕張代表として、4山対抗大会に出場し、少年組で優勝したとの事です。   画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが、当時のジャンプスタイルを偲べると思います。   (2005年6月19日 記) …
妹の同級生、ナラ・ユウコ さん|高橋正朝 #78 続・大夕張つれづれ

妹の同級生、ナラ・ユウコ さん|高橋正朝 #78

     前回、# 77 【 モディリアーニの『 腕を広げて横たわる裸婦 』 】の稿で、渡辺キミ子 さんと、末の妹の 綾子 のやりとりのことを書いた。      綾子 は、4人兄弟姉妹の末っ子で女のコということもあり、大変甘やかされた。 彼女は、誰が見ても、数人兄弟姉妹の末っ子だと想像でき…
昭和48年の街 その3 閉山を迎える街

昭和48年の街 その3

昭和30年代、最盛期には、山の上の方まであった住宅も、空き地が目立つ。 その空き地のあたりも子どもの頃のいい遊び場になっていた。 昭和48年(1978年)の富士見町方面。 今は、このあたりを国道が通っているようだ。…
雪庇 写真

雪庇

駅前だるま食堂だった建物の雪庇。 その昔、晴れた日にはせり出した軒先の雪庇を軒下から長い棒でつついて落とした。…
1982年(昭和57年) 昭和

1982年(昭和57年)

1月 鹿島勤労市民センター類焼により全焼。3月 13日,奥鹿島分校学習発表会開催。  31日,電話普及により火災報知器の廃止。4月 鹿島東小複式規模に児童数減少。PTA総会において鹿島小への統合を決議。5月 1日,鹿島東小第10代PTA会長中井久雄選出。 29日,鹿島東小第26回運動会(町内会と共催…
冬のお弁当  |  工藤 央 思い出ばなし

冬のお弁当 | 工藤 央

 子供の頃のことを思い出していて、夕張東高校のことを思い出しました。   父が夕張東高の教師だったというのは以前書いておりますが、幼稚園が冬休みの時などに、父に弁当を持っていったときの記憶です。   毎朝高校に行く父は、私のスキーを持って出かけていきました。   11時すぎ弁当が仕上がった段階で、 …
ズンドコ大張り|詞・曲アレンジ 山吹とおる  ふるさとの風と周り唄

ズンドコ大張り|詞・曲アレンジ 山吹とおる 

😸歌詞カードは印刷して使えます😸 くり返し再生がONになっています 南部くだりゃ 明石町(ちょう) 砂金欲しけりゃ 白金の沢(しろきん) 三弦橋を背に追って あの娘が待ってる 千年町 常盤廻って 宝町 暁(あかつき)渡ろか もどろうか 下弦の下で 月見酒 岳見恋しや 錦町   春は桜に神輿(みこし)…
トタン板 | ふじみちょう 随想

トタン板 | ふじみちょう

夕張岳   35年ぶりに尋ねた「大夕張」   あの頃の町並みも目印になる建物もすっかり無くなっていた。   わずかに探し出せたものは、電柱、街路灯、側溝の石垣、U字溝、屋根に使用していたトタン板、錆びて朽ち果てた鉄棒とブランコ・・・。   あまりの変りように言葉を失ったのだが、我が故郷は心静かに迎え…