月: 2022年2月

1997.5.10 大夕張のまち 写真

1997.5.10 大夕張のまち

平成9年(1997年)5月に大夕張を訪ねた時のかつての駅前。 どうということのない一地方の町の姿のようにみえるかもしれない。   自分が暮らしたあの盛んだった頃のまち・・・という名のフィルターがかかり、その落差にとまどった。 今から25年前のまち。 土曜の日のお昼頃、歩いている人の姿をほとんどみるこ…
私が住んだ街 |太田 勢 思い出ばなし

私が住んだ街 |太田 勢

 私が大夕張に住んだのは、小学校2年生からの4年間でした。   両親が夕張出身(遠幌、楓)で、祖父母も夕張に住んでいたので、夕張には小さい頃から何度も行ってました。  そんな私が、父の転勤で初めて住んだ夕張の地が、大夕張でした。   私が住んだのは、富士見町6丁目の一番奥でした(家の裏は沢でした)。…
祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子 思い出ばなし

祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子

 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり、当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。  大夕張代表として、4山対抗大会に出場し、少年組で優勝したとの事です。   画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが、当時のジャンプスタイルを偲べると思います。   (2005年6月19日 記) …
妹の同級生、ナラ・ユウコ さん|高橋正朝 #78 続・大夕張つれづれ

妹の同級生、ナラ・ユウコ さん|高橋正朝 #78

     前回、# 77 【 モディリアーニの『 腕を広げて横たわる裸婦 』 】の稿で、渡辺キミ子 さんと、末の妹の 綾子 のやりとりのことを書いた。      綾子 は、4人兄弟姉妹の末っ子で女のコということもあり、大変甘やかされた。 彼女は、誰が見ても、数人兄弟姉妹の末っ子だと想像でき…
昭和48年の街 その3 閉山を迎える街

昭和48年の街 その3

昭和30年代、最盛期には、山の上の方まであった住宅も、空き地が目立つ。 その空き地のあたりも子どもの頃のいい遊び場になっていた。 昭和48年(1978年)の富士見町方面。 今は、このあたりを国道が通っているようだ。…
雪庇 写真

雪庇

駅前だるま食堂だった建物の雪庇。 その昔、晴れた日にはせり出した軒先の雪庇を軒下から長い棒でつついて落とした。…
1982年(昭和57年) 昭和

1982年(昭和57年)

1月 鹿島勤労市民センター類焼により全焼。3月 13日,奥鹿島分校学習発表会開催。  31日,電話普及により火災報知器の廃止。4月 鹿島東小複式規模に児童数減少。PTA総会において鹿島小への統合を決議。5月 1日,鹿島東小第10代PTA会長中井久雄選出。 29日,鹿島東小第26回運動会(町内会と共催…
冬のお弁当  |  工藤 央 思い出ばなし

冬のお弁当 | 工藤 央

 子供の頃のことを思い出していて、夕張東高校のことを思い出しました。   父が夕張東高の教師だったというのは以前書いておりますが、幼稚園が冬休みの時などに、父に弁当を持っていったときの記憶です。   毎朝高校に行く父は、私のスキーを持って出かけていきました。   11時すぎ弁当が仕上がった段階で、 …
ズンドコ大張り|詞・曲アレンジ 山吹とおる  ふるさとの風と周り唄

ズンドコ大張り|詞・曲アレンジ 山吹とおる 

😸歌詞カードは印刷して使えます😸 くり返し再生がONになっています 南部くだりゃ 明石町(ちょう) 砂金欲しけりゃ 白金の沢(しろきん) 三弦橋を背に追って あの娘が待ってる 千年町 常盤廻って 宝町 暁(あかつき)渡ろか もどろうか 下弦の下で 月見酒 岳見恋しや 錦町   春は桜に神輿(みこし)…
トタン板 | ふじみちょう 随想

トタン板 | ふじみちょう

夕張岳   35年ぶりに尋ねた「大夕張」   あの頃の町並みも目印になる建物もすっかり無くなっていた。   わずかに探し出せたものは、電柱、街路灯、側溝の石垣、U字溝、屋根に使用していたトタン板、錆びて朽ち果てた鉄棒とブランコ・・・。   あまりの変りように言葉を失ったのだが、我が故郷は心静かに迎え…
明石町から夕張岳 思い出の街角

明石町から夕張岳

年代不詳 明石町から夕張岳方面を望む。 常盤町の見えているたてものは、鹿島中学校、し尿処理場のあたりのようだが・・・。 白黒写真に着色した画像 この明石町のどのあたりから撮影したのか、明石町に住んでいた人ならたぶんすぐにわかるのでしょう。大夕張全体を撮影した国土地理院の航空写真はこちらなので眺めてみ…