訪問記 雪の明石橋と旭沢橋梁 2022 千年町と明石町を深い谷で隔てた旭沢。 かつて鉄橋の上から見た深い谷を見下ろすと、目もくらむような高さだった。 今はそのずっと上の方からその鉄橋を見下ろしていた。 明石橋と旭沢の鉄橋が、湖面を覆う雪原から姿をのぞかせる(向こうに見えるのは、新しい白銀橋) 2022年3月10日 この冬の大雪で道路の両側… 続きを読む
随想 Re.サーチャージの日|ziny 紫に 朝雲破れ 東(ひんがし)の 空映え渡る 常の日の 力の限り 試さばや いざ 今日の日に 准さん ふるさと鹿島の風を シューパロの風を 未来の風を 受け 魂の響きを お伝えください。 雪が降る中、湖面に張り出した土手に立って湖面を見下ろしていると、どこからともなく三好達… 続きを読む
住民登録 2001年4月1日~2001年12月31日 昭和42年の鹿島東小学校1年竹組石野百合子先生のクラスでした。 とても厳しく、そして優しい先生だったのを覚えています。 3年は、松組で名前は忘れましたが男のでかい先生(確か、ドラキュラと 呼ばれていた)でした。 怖い先生だったのを 鮮明に覚えています。 もぐら oguran@kcn.ne.jp 奈 … 続きを読む
訪問記 サーチャージの日| 准 サーチャージから6日後(水位299.5m)の新白金橋 平成26年(2014年)11月12日(水) 試験湛水中のシューパロダムが、明日11/13(木)最高水位に達します。 (18時現在 雷雨ですが、今日中の最高水位はありません。) けれど明日の天気予報は雨。 14日(金)には晴間がありそうなの… 続きを読む
スライドショー 大夕張神社 桜日和 五月には、ようやく大夕張で桜が咲く。 一枚の写真から大夕張の春をイメージしてみましょう。 神社の丘に立って、眼下の街を眺め 神社の丘に立って、耳を澄ませば いったい 何が聞こえて いたでしょう ほらあなたにも聞こえていた 忘れることのないあの声と街の音 ht… 続きを読む
2丁目3番地 別世界 昨年、父の50回忌と母の3回忌の法要をすませた。そして今年、自分が大夕張を出て50年。 「区切りの年として、大夕張に行こう」と思ったものの生来の不精者故、のびのびになっていた。 今年になって3月9日10日、天気予報は、気温が上がり好天が続くと聞き、「父と母を連れて大夕張に行ってこよう… 続きを読む
住民登録 2000年1月5日~2001年3月29日 私は、S34年東小卒/S37年鹿島中卒/S40年東高卒(2期)です。 以降は本州で就学・就職 し、現在は茨城県日立市に住んでいます。 私の父は、大夕張に一軒しか無かった印刷業を 営んでいました(みなと印刷)。 大夕張には平成2年5月に行きましたが、湖に沈む前に再 訪したいものです。 私にとっての大夕… 続きを読む
住民登録 1998年10月1日~1999年12月29日 昭和45年、6歳になるときに江別に引っ越しております。 父は夕張東高校の教師で、教員住宅に住んでいたことを記憶しています。 当時のことはわずかですが覚えております。 もう生まれた場所は残っていませんが、私にとっては生涯の故郷となっています。 工藤 央 damiansourn@excite.co.jp… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 番外編••••••KR 省からのメール |高橋正朝 #83 KR 省というのは、旧 K 省と旧 R 省が統合されてできた組織である。 このような書き方をしたのは、SNS やユーチューバーの画面を見てマネをしてみたわけです。 それらユーチューバーたちは、ニューヨーク州の弁護士試験合格を夢見ている、日本人 K 氏のことを、当初は本名で出していたが、昨… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年頃 購買会 昭和45年頃、購買会。陽射しの強い昼さがり。 母が勤めた購買会 【高橋勝美】 栄町ブロックでしたので、買い物は購買会でした! 母が、肉屋-惣菜も売ってました-働いていました。ですから私は鍵っ子でした。小学校の帰り道に時々、母の務め先に顔を出してました。 購買会 【飯田雅人】 大夕張で日常使うも… 続きを読む
随想 人生で一番、楽しかった頃 | 村岡(旧姓・雨森)由喜夫 昭和20年代後半に遠幌の炭鉱住宅に住んでいました。 父は雨森康男、中学校の先生(英語)、母は艶、大夕張炭鉱診療所で歯科医。 私と弟は遠幌保育園でした。 雪の情景が、あの頃ラジオから流れた「雪の降る町」の唄と共に必ず瞼に浮かびます。 小学校の裏には熊が出るので銃を構えた案山子があったこ… 続きを読む
2丁目3番地 三菱・夕鉄 バス停留所 昭和の大夕張、バス停留所を作って(描いて)みた・・・。 地図のネタになるか、空想の街のジオラマを彩る一素材になるのか。 用途は定かではない笑。 それはともかく実際の写真やビデオに写りこんでいるものを参考にした。 昭和30年代から昭和40年頃の自分がいた街がベースになる。 当時の三菱バス停の標識は… 続きを読む
随想 写真の声|斎藤敏幸 『岳富町商店街と「しがい」』のコメントに「千歳町」を「しがい」と呼んでいたとありましたね。 僕の周りでも確かに「しがい」呼んでいました。 子供の頃は,街のはずれにあるから「市外」なんだろうと思っていました。 でも、飲食関係の商店街も沢山あったので「市街」だったのかもしれませんね。 武田自転車屋さんの… 続きを読む
思い出の街角 岳富町商店街と「しがい」 「しがい」とよんでいた千年町。 その千年町と大夕張駅方面を結ぶ岳富町。昔の人は宝沢と呼んだ。 千年町との往来には、この沢を埋め立てた道を歩いた。 戦後鉄道の築堤沿い建ったバラックの商店は昭和30年代立派な商店街となり、「岳富町」となった。 千年町方面のことを、子どもの頃「しがい」と呼んでいた。 千年… 続きを読む