思い出の記 雪から抜け出す方法|Kawauchi Masami 札幌の今年の大雪で、あっちこっちでスタックしている車を見てて大夕張の冬を思い出しました。 昭和50年頃、まだ乗用車に4WDが無く、私達も冬はよく埋まりました。 その時、私の抜け出す方法は、当時の車はみんなチョークが付いていました。 そこでスタックした車をわざと、タイヤをカラ回転させます。 そこでチョ… 続きを読む
思い出ばなし 東小の思い出マップ|高橋歌子 これは、昭和48年の鹿島東小学校の卒業アルバムからです。 夏休みに閉山で転校してしまった私は、卒業していないのですが、送ってもらいました。 閉山の時点で昔より学級数が少なくなっていたので、空き教室が卓球室になり、行く人も少なかったので皆気持ち悪がっていました。 トイレも大きくてシーンと… 続きを読む
雪催いの町 雪催いの町(Snowfall Version) 詩・曲 山吹とおるさんの「雪催いの町」のイメージを想起する素材に巡り会いました。 闇夜に、青白い月光に照らしただされた雪ばかりが真白に光り輝き、雪が深々と降りつのる世界。 そんな動画にコトバをのせてみました。 町の思い出が言葉になり、浮かんでは消え、また浮かんで消えていく。 追いかけても、追いか… 続きを読む
楽しかった日々 そり遊びとボッコ手袋 昭和35年頃 富士見町5丁目、炭鉱住宅は、ほぼ規格が決まっていた。 このあたりは病院の関係者などが多かった。一軒2戸、横には畑というか雪のない時期には、家庭菜園になるような空き地のスペースがあった。 窓も埋まるような雪が降った後は、その空き地の方に向かって坂を滑る絶好のスペースが出来て、冬の遊びに興… 続きを読む
思い出の記 雪山の上にできた道 |Kawauchi Masami 今年の雪の多さに、ちょっと思い出しました。 今は病気のせいで、雪道の人の歩いた1本道は、歩けませんが、大夕張の頃、除雪と言えばブルドーザーが雪を押して行くばかりで、長屋の入り口は、長屋の人が押して来た雪を投げていました。 当然、道路の両端は、2~3mの雪の山の上に、人の歩いた1本道が出来… 続きを読む