月: 2022年4月

崩落した崖を見上げる 運んだ、石炭を人を

崩落した崖を見上げる

『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや工事関係者の姿を写した5枚の写真のうち、「2 崩落した崖を見上げる」の写真に着色したものです。   ↓白黒写真はこちらのページ。 https://ooyubari.com/2020/07/…
緑町 見学旅行 |Masami Kawauchi 思い出の記

緑町 見学旅行 |Masami Kawauchi

昭和36年(1961年) 緑町 班長の見学旅行です。 場所はわかりません。 母がうつっています。 私は小学校1年生でした。   白黒写真に着色した画像   夕張バスの前で記念写真 (筆者紹介) 昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。…
大夕張土建労働會舘 思い出の街角

大夕張土建労働會舘

外壁に大夕張土建労働會舘の文字。 外壁が一部剥がれ落ちて出入り口にいた壁が打ち付けられているような荒れた状態で、閉山後の撮影か。 場所は千年町のようだが、詳細不明。 白黒写真に着色した画像  …
松本菓子店|松本勝弘 思い出ばなし

松本菓子店|松本勝弘

昭和39年に生まれ、18歳高校卒業まで、栄町商店街の自宅で育ちました。  今年の春頃に『ふるさと大夕張』を見つけました。最近は、はまってしまい毎晩のように拝見させてもらっています。履歴を探しても同年代の方が少ないのが残念ですが(生徒数が少なかったせいもありますが)   私は、帯向商店と佐藤時計店(キ…
職業安定所 思い出貼

職業安定所

鹿島小学校郷土室にあった写真の説明では、公共職業安定所とあった。 昭和40年代の千年町のように見える。 公共職業安定所は夕張本町にあり、夕張市史にもそれ以外の場所に出張所、連絡所があったという記載はないが、閉山後の就労斡旋のために臨時に設けられたものということも考えられる。 詳細は不明。    今で…
ヒロちゃん・・・・? | 佐々木江里子 随想

ヒロちゃん・・・・? | 佐々木江里子

 つい先日、偶然このHPを発見し、活気ある頃の大夕張の写真やサイレンの音、聞き覚えのある名前など、大変懐かしく拝見させていただきました。   大夕張掲示板を今古い順に読み始めていますが、1998年7月02日に投稿されている菅井宏史様。  私は旧姓西岡と申しますが、昭和38年頃から40年頃まで富士見町…
鉄道廃線記念乗車券 昭和62年(1987年) 交通関係

鉄道廃線記念乗車券 昭和62年(1987年)

昭和62年(1987) 三菱石炭鉱業株式会社鉄道 発行 鉄道廃線記念乗車券 封筒表 南大夕張ゆき・清水沢ゆき デザイン四種 鉄道廃線さよなら列車記念 1911~1987 76年間 乗車券  乗車券 裏面(文面は四枚共通) 記念乗車券裏面 文面 ごあいさつ 三菱石炭鉱業鉄道は明治44年(1911)専用…
記憶の中の大夕張 その1|乗田功一 思い出ばなし

記憶の中の大夕張 その1|乗田功一

過去の記憶からいくつか。 ●鹿島小学校の運動会 紅白に分かれて勝敗を競う。 グラウンドの校舎側と、富士見町側とに分かれ、応援歌の応酬。  この応援歌、歌詞が難しく、全く意味不明。 最後の「フレー赤 フレー赤 フレーフレー赤~!」  の「赤」の部分が、白組だと「白」になる。 紅白同時に歌い始めるが、数…
泉町10周年記念写真 思い出の街角

泉町10周年記念写真

昭和42年 泉町10周年記念行事 白黒写真に着色した画像 泉水町町内会の役員と出席者の皆さん 記念写真  【久々湊眞一】 昭和40年頃。 泉町開町10周年の記念行事。 左側の一番端に大夕張山神社の神主さんがいます。 宝沢の暗渠  【飯田雅人】  この写真ともう一枚の『泉町10周年』の写真を見ると、鹿…
フジキさん |田中紀子 思い出ばなし

フジキさん |田中紀子

フジキさんの記憶を読み、もしかしてお父様は「藤木悠紀夫」さん。 私と同期です。 小さい頃は千年町に住んでおりました。 おじい様は最初は井出組でした。後に独立して、「藤木組」を設立され、手広く事業をなさっておりました。 大夕張駅を降りて、春日町に下りる坂の手前に、「藤木精米所」がありました。 遊びに行…
直心の坂 春 思い出の街角

直心の坂 春

昭和35年頃 崖の上に見える建物は代々木町のあたり。 後ろの山にも雪がまだ残り、この時期雪はとけても、山を越えてまちに吹き込む風はとても冷たかった。 白黒写真に着色した画像   この坂(崖)は、冬はスキーのジャンプにそり遊びに、そして、代々木町と春日町を結ぶ大事な生活道路だった…
記憶 |フジキ 思い出ばなし

記憶 |フジキ

1968年に大夕張に生まれ、多分、3歳ぐらいの時に埼玉の大宮に引越したのだと思います。 なにぶん、子供の頃なので、記憶が定かでないのです。 父や、お袋の話だと、祖父は藤木組にいて炭鉱で働いていたそうです。 親戚の叔母は、手芸店をしていたような気がします。  父はメタノール工場で働いていたようです。 …
昭和32年 大夕張駅 見送り風景 思い出の街角

昭和32年 大夕張駅 見送り風景

昭和32年。  4月も中旬の頃だったという。まだ肌寒い日が多く、服装にも冬の名残りが感じられる。 この中に鹿島小学校から富野小に転勤になる祖父もいるが、大夕張の外にでる交通機関は鉄道しかなかった時代、転出する人が多かったことだろう。 大夕張駅ホームの駅名標付近に集まるあふれるばかりの見送りの人々。 …
番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その3|高橋正朝 #86 続・大夕張つれづれ

番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その3|高橋正朝 #86

   前回、# 85 のアタマで書いたことだが、密かにささやかれるパリの3悪の、その1については、行政機関そのものであり、他の2つは、形式的には民間企業であるが、いずれも設立にあたっては、行政が主導的な役割りをした企業である。      しつこく、〘 密かにささやかれるパリの3悪 〙と呼ばれるものを…