富士見町3丁目33番地 その2

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 昭和43年鹿島小学校を卒業して中学校に入った、その年の5月頃だろう。

 後ろには、富士見町の独身寮『啓心寮』

 土手下のテニスコートや空き地は、『遊び場』だった。

 

 富士見町3丁目33番、それまで木造の住宅から引っ越し、大夕張で最後に住んだブロック住宅。

 家の中は、ペチカがありトイレは和式水洗トイレだった。当時はそんなこと思ってもいなかったが、かなり恵まれた住宅環境だった。

 その後、暮らした札幌の祖父の家(祖父が定年で建てた一戸建の木造住宅)よりも、ずっと快適だった。

 

 昭和33年の地図では、倶楽部のそばのこのあたりは、テニスコートとなっている。

 そこに2棟のブロックが建築された。だからこの時、新築されて10年も経っていないはずだが、手すりの赤茶けた錆びなどは、大夕張の風雪の厳しさか。

 

1棟4戸。2棟で8戸入っていた。

 2棟のブロックのうち、倶楽部に一番近い1階に所長が住み、その戸口には、普段倶楽部の車庫に入っていた黒塗りの『デボネア』が時々停まっているのを見かけた。

 その他、病院の医師、メタノール工場長、課長といった役職の人達が暮らしていた。

 

 このブロックは、閉山の後も、平成9年住民移転で取り壊されるまで、住民の住宅として使用されていた。

 

 

 

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