小学校の踏切
2022-11-25
19521
鹿島小学校側から見た踏切。
それまであった鹿島小学校横の踏切に『椀木式遮断機』が設置されたのは、昭和38年10月のことだという。
夕張市で二番目にできた踏切だったという。
昭和44年にできた歩道橋はまだできていない頃のようだ。
学校に通った道としては、栄町、富士見町方面は北側の大きな門から、線路沿いの道を、緑町、弥生町、代々木町、春日町方面の人は東門からこちらの踏切というコースが多かった。
この踏切には思い出がある人もきっと多いでしょう。
自分もその一人です。
この写真は、映像に出てくる一シーンのコマに着色したもので、『遥かなる思い出の故郷』から。
枕木を並べたような太く高い柵が線路と周囲を仕切っていた。中学生の頃、線路の向こう側に行くために、乗り越えていくこともよくあった。
昭和48年に鹿島小学校から線路の反対側、歩道橋から小学校の踏切を写した写真はこちら
https://ooyubari.com/2021/08/23/hodokyokaranisiki/
写真は、こちらの映像からスクリーンショットで撮った。
遥かなる思い出の故郷(全編)「ふるさと大夕張1丁目1番地」の「大夕張映像館」で公開したものです。 8ミリフィルムで撮影された最盛期の大夕張の映像ですが、実は、その映像には続きがあり、1991年に、制作者の方が…
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