お下がりのスキー| 石崎佳美

もう、夢か現実だったのかは、定かではありません、、
小学校1年生の冬スキーで登校しました。
1列になって、1年生の私は1番前で、私の前には最上級生の男の子がいました。
ところが…💦。
スキー板があまりも長く、体に合っていなかったので、何度も何度も転び、思うように前には進めません。
それまで歩いてスキーをした事も全くなかったので、その時が初めてのスキーでした。
後ろから、ブーイングが💦💦。
それで私は、列の1番後ろに付いて登校しました。
やっと学校に着き、スキー板を保管すると、同じ同級生とは全然長さが違う、長い私のスキー板がありました。
下校の帰りは、もちろん1番後ろから、みんなに付いて帰りました。
その後、体にあったスキー板を買ってもらった記憶があります。
その後、学校でスキー教室があった時、スキー板を保管する場所で、同級生のスキー板と並べた時は、同じくらいの長さになりました。😊
お下がりのスキー
たしか、その日母に、
「スキーが長くて嫌だー」
と私が言っても聞いてもらえず、後から帰って来た姉が
「朝の登校大変だった」
と言ってくれてやっと、スキーを買いに行ったような気がします・・・。スキーを買いに行ったお店も覚えています。
私の父は、スキーはダメでしたが、それでも大夕張のあのロープで登る!スキー場に、連れて行ってくれました。
父は、転がっていました。
それを見た私は、
『私自身、あまりスキーは上手くならないなぁ』
と、遺伝という言葉は知らなかった時に思いました。
小学校1年生の記憶です。
2年生の冬は、閉山で大夕張を離れてましたから。
札幌に引越しをした時、小学校の先生に、スキー靴が紐靴でビックリされ、そのスキー靴の紐が凍ってしまったり、とれたり、スキーの金具の古さに驚き、私の母にスキー用品について、連絡をくれました。
私は、益々スキーを嫌いになりました。
ただ、息子にだけは、スキー教室に通わせて試験を受けさせてと、必死でした。
私は、大人になりお友達と行くようになって、人並みに滑れるようになりましたが…。
(2022年1月2日 記)
スキーで登校?何町?春日町では有り得ないから富士見町かな?
自分もスキーを持ってたのか記憶にないが、ロープリフトで上ってその上の頂上から真直ぐ(直滑降)降りてきた。
曲げる(ターン)事が出来なかったから。だからジャンプ台の方からは降りた事はなかった。
大学時代に蔵王温泉でスキー実習があったが、その時も友達のを借りた。自分のがなかったのか?
家がそんなに貧しくはなかったと認識するのにどうしてそんなに時間が必要だったのだろうか?
勤めて初めてスキー一式を揃えた。シーズンを終える頃には何とか形になり教え子が卒業する時には1級取得する者もいた。
道内の主なスキー場はと言えば色々あるが、自分の思う様に滑る事が出来なかったあのスキー場が今は一番かな?