月: 2023年1月

昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-2) 思い出の街角

昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-2)

昭和40年代、正面、夕張岳には残雪、駅周辺の木々もこれから芽吹くという4月から5月初旬頃の大夕張か。 神社から見た全景よりは、低い位置からの写真のようだ。 参道の坂道の途中から撮影したのだろうか。     昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたものの2枚目。 前回一枚目も…
北海道弁••••••だはんこく | 高橋正朝 #127 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••だはんこく | 高橋正朝 #127

     この北海道弁〘 だはんこく 〙は、もはや死語ではないだろうか••••••。       アパートのガラス戸は、今の時期( 12月初旬から1下旬ぐらい )は24時間開けっ放しにして網戸にしているのだが、早朝、見えないが、通りの向こう側から、幼児が、〘 だはんこいている 〙のが聞こえた。   …
昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-1) 思い出の街角

昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-1)

昭和40年代、栄町アパートの屋根が、平面の形状(陸屋根、りくやね・ろくやね)だったのが、片流れの傾斜ついたトタンの屋根が取り付けられた。 栄町ブロックのあたりは、青い屋根に煙突が続く・・・。   礦業所方面から鹿島小校門まで 昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたもの。 …
千年町朝日荘前の階段 | 小野 美音子 思い出貼

千年町朝日荘前の階段 | 小野 美音子

  1997年 朝日荘バス停から浴場に向かっておりる階段の跡      河井さんのおばさん、ありがとう・・  私は、あの階段を降りて行った時のはずむような嬉しさを、今も忘れられません。  河井みちこ、ゆうこちゃん姉妹と楽しいままごと遊びが待っていたからです。    バス停まで、必ず笑顔で迎えに来てく…
1987年(昭和62年) 昭和

1987年(昭和62年)

4月 1日,鹿島小第15代藤岡光蔵校長。 鹿島中第14代北山信一校長。 6月 鹿島消防団長星靖男退任。17代目団長野田眞就任。 7月 22日,三菱大夕張鉄道(清水沢~南大夕張間7.6Km)全線廃止。 鉄道廃線記念乗車券発行(3枚組360円) 鉄道廃線記念絵葉書(3枚組)発売。 この月末鹿島の人口79…
紺碧の夕張岳  写真

紺碧の夕張岳 

    昭和17年に大夕張で生まれた叔父は鹿島小、鹿島中の同級生たちと、あるいは一人で、時々故郷をたずねていた。  その時々に、撮影した写真を送ってくれていた。  その中からの一枚の写真。  1995年(平成7年)頃、おそらくシューパロ湖湖畔亭付近からの撮影だろうか。      夏。  夕張岳は、蒼…
冬の出来事 |Kawauchi Masami 思い出の記

冬の出来事 |Kawauchi Masami

   私には忘れられない思い出が2つ有ります。    小学校2年生の時、富士見町のスキー場で遊んでいて身体がだるくなり、いつもの様に、スキーを担いで春日町の自宅へ帰る時、スキーが重くて、カンダハンの金具を両手で持って引きずって歩いていました。    家だと思い、家まで着いて倒れていたそうです。   …
大夕張 街中通過 映像 映像

大夕張 街中通過 映像

前回の千年町、宝町の通過映像からの続編。 以前、2021年5月にリンクした動画がしばらく削除されていましたが、今回動画が再アップされたので、ふたたび公開することができるようになりました。   ツィッターの投稿へのリンクです。     1992年(平成4年)の貴重な大夕張の街中映像です。     千年…
万葉会館 | 高橋正朝  #126 続・大夕張つれづれ

万葉会館 | 高橋正朝 #126

 『続・大夕張つれづれ #124 道玄坂の思い出 その2』 に、TAKASHI さんが、コメントを書き込み、万葉会館について言及していました。       当時あった万葉会館は、今は貸ビル業に転じているようで、ビルの大部分は、IKEA に貸しているようです。       『続・大夕張つれづれ #12…
長いスキーを担いで出発 楽しかった日々

長いスキーを担いで出発

    昭和40年代の大夕張を、8ミリフィルムで撮影したテープをもとに編集された『遥かなる思い出の故郷』の中に、スキーをかついだ子どもたちが、炭鉱住宅の中を歩いていくシーンがある。   家の前にスキーを立てかけたスキー、自分の背の丈を超えた長尺のスキーをかついで歩いていく子どもたちの姿。 長いスキー…
どこに行っても忘れないもの 【線路】 学び舎の思い出

どこに行っても忘れないもの 【線路】

東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。     ■坂道 ■机 ■線路   の中から 線路 と題する文章。 【線路】 鉄の二本の線路を、 どこにいてもわすれない。 ・・・ いろいろな職場から、 いろいろな地域から、 ある人はバスで、ある人は汽車で…
どこに行っても忘れないもの【机】 学び舎の思い出

どこに行っても忘れないもの【机】

前回の、東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。   ■坂道 ■机 ■線路 の中から 机 と題する文章。             【 机 】 どこに行っても忘れないもの それは机です。 ・・・ 教室の、あの場所に、自分の机が あります ・・・ 本…
どこに行っても忘れないもの【坂道】  学び舎の思い出

どこに行っても忘れないもの【坂道】 

   当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。  夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。  おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。    どこに行っても忘れないもの と題して、 ■坂道 ■机 ■線路  の…
大夕張駅に向かって 思い出の街角

大夕張駅に向かって

   春日、弥生、代々木の3つの町の境界線が接するようなこの場所。    同じような立ち位置で撮影した写真に、『代々木アパート手前から』と『大夕張駅から代々木アパートまで』(下記参照)があるが、その二つの写真の中間あたりから撮影した写真だ。       おそらく撮影者の右手には中西豆腐店や代々木町の…