通知表からの思い出|石崎佳美
2023-02-01
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見つけました❗️
鹿島小学校の通知表を。
やはり、記憶は正しかったのは、昭和48年の12月迄(小学校2年生2学期迄)、鹿島小学校に在籍していたようです。
久々湊昭三先生の印鑑は、押してあるのに、それを見たという親の印鑑が無いです。
もう、学校に返す事が無いという所に寂しさを感じました。
1年生の時、細かく久々湊先生が記入していただいてます。
2年生のは…。
先生も大変だったのではと思いました。
1年生の「出欠席のようす」の欄に、はしかにかかって出席停止だったり、おたふく風邪にかかり
6日休んだりしていての記述があり、思わずクスッと笑ってしまいました。
何故なら、おたふく風邪は鮮明に覚えています。
左の頬のかなり腫れてそれが嫌で、隠すように、帽子をかぶってました。
たしか、それは、冬の帽子で…あごで止める帽子でした。
学校を病欠していたのは2学期なので、冬の帽子は、変だと思います。
なので、1年生の私は、必死にあごの腫れを隠す為に、冬でも無いのに毛糸の帽子を被ってました。
ずっーと「治らなかったら、どうしょう…」と思ってました。
それでなくても、小顔ではなく大きな顔の私…
まさしく❗️おたふく❗️でした。
でも心配は、2〜3日で終わりました。
たしか…朝起きて膨らんでいる私の顔を見て、姉はゲラゲラ笑ったと思います。
友達3人くらい、仲の良かった子がおたふくにかかり、6日間も学校がお休みなので、もてあましていて
「平気だよね」と、感染した子達で遊ぶ時に帽子を被っていたような記憶が…
本当に変わった子供だったと思います。
おたふくのあごの腫れを帽子で隠す子供は…。

この帽子です。