月: 2023年2月

北海道弁•••••• なまずるい、へなまずるい | 高橋正朝 #131 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••••• なまずるい、へなまずるい | 高橋正朝 #131

   これも、現在の北海道弁からしたら、博物館行きの言葉かもしれない。  ネットでチェックしたら、この言葉の記事は少ない。  大夕張の子ども時代には知っていた言葉だが、使用頻度は少なかったように思う。  しかし、インパクトがあった。        その少ない記事のなかで、まったく知らなかった考察があ…
昭和52年の大夕張全景(#1/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#1/5)

昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 三菱大夕張炭鉱閉山から4年目。 手前のスキー場から奥のズリ山までの間、富士見町には残されたブロック住宅とともに、啓心寮、倶楽部といった会社の建物がまだ残されている。  …
常盤町川沿の炭住 昭和34年頃 思い出の街角

常盤町川沿の炭住 昭和34年頃

手前のつり橋は、千年町と常盤町を結ぶ初代暁橋、奥にはバス(山内線)も走った旧鹿島橋が見える。 鹿島橋の側には鹿島東小学校の校舎。   昭和24年(1949年)に住宅地として山林を開き新築完成した常盤町の炭鉱住宅街だったが、大夕張ダム関連の工事で、昭和36年に暁橋と鹿島橋は新しい橋に付け替えらた。  …
ある郵便局員の回想 随想

ある郵便局員の回想

  郵便配達 突然の異動だった 悪いことに、異動の前後は その配達地域が割り当てではなかった。   40年ちかくになるだろうか。 久しぶりの訪問だった。   あの家は、たしか自分の隅では 小学4・5年くらいの男の子が二人?・・・ 小さな女の子が一人?・・・   家を支えていたのは婦人で、その家の大き…
化石の街|市橋 勝 随想

化石の街|市橋 勝

ふるさとの街はもうどこにもない   僕が帰れる街はもうどこにもない    優しく出迎えてくれる場所はもうどこにもない    いつか水の底に沈むという小さなふるさと   あの日の小さな想い出と一緒に深く静かに横たわる   いつまでも忘れないでおくれたとえ名も無き花だとしても   いつまでも忘れないでお…
雪煙(ゆきけむり) 2丁目3番地

雪煙(ゆきけむり)

 子どもの頃、家に幻燈機があった。  白い布を板壁に張り、そこに映し出される父がとった家族の写真をスライドで見るのが楽しみだった。    「げんとうしよう!」    いつもそんな言葉でおねだりした。    当時リバーサルフィルムは高価なものだったろう、そんなに枚数が多かったわけではない。    それ…
冬の森林鉄道橋 写真

冬の森林鉄道橋

   シューパロ湖畔から対岸の桜ヶ岡地区にかかる森林鉄道橋。    新雪が降り積もった晴れた日の朝は、雪がまぶしいばかりに光輝く景色を思い出す。      平成14年(2002年)1月   …
北海道弁••••••もぐす | 高橋正朝 #130 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••もぐす | 高橋正朝 #130

     この〘 もぐす 〙という北海道弁も、現在では博物館行の言葉のようだ。  ネットの記事のなかに、簡潔に表現したものがあったので、それを抜粋したのが以下の文章です。       「 もぐす 」は、「 漏(も)らす 」という意味の北海道の方言です。  標準語のもらすと違い、もぐすは排泄物(はいせ…
番外編:さっぽろ雪祭り 2丁目3番地

番外編:さっぽろ雪祭り

   大夕張から札幌に、『雪祭り』見物に出かけた人も多いだろう。    アルバムに一枚の『雪祭り』の写真があった。    当時親戚もいない札幌の町には滅多にでかけることもなく、それでも「さっぽろ雪祭り」は、写真があったために自分の記憶に残り続けた。    何歳の時にでかけたという記憶もなかったが、『…
大夕張圃園全景 思い出の街角

大夕張圃園全景

 大夕張地区では、昭和5年から人工林の育成が始められた。    帝室林野局札幌支局大夕張出張所が昭和14年に設置され、昭和22年4月に大夕張営林署となった。    昭和29年の洞爺丸台風で大きな被害を受け跡地整理のために、トドマツを中心に針葉樹が植栽された。  昭和31年には、学校林として、鹿島中学…
9月の三弦橋 写真

9月の三弦橋

2004年(平成16年)9月初旬の三弦橋。 たぶん『夕陽を浴びる三弦橋』の写真と同じ頃、渇水期のシューパロ湖を訪ねた。 夏から秋に移りゆく穏やかな季節。  …