『かしま 開校50周年記念誌』表紙の鹿島小学校の写真と閉校誌
2023-04-06
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昭和53年(1978年)11月12日に発行された50周年開校記念誌の表紙に鹿島小学校の校舎の写真が載っている。
撮影された日は晩秋の雨が降り止み、晴れた日のだっただろうか。
この年に完成した新体育館、その他にも校地の改良工事が行なわれているのか、写真右手前にコンクリート製の大きな土管が見えて、土が掘り返されている。
そしてグラウンドには、工事関係者の車両だろう、轍を残して数台の車が停車中だ。
実は、最近になって気がついたことだが、これと同じ写真をどこかで見たことがあった。
もちろんこの角度からの鹿島小学校は、昭和40年代、自分が小・中学生の頃から学校の授業で写生をして描いていたなじみ深い構図だ。
同じ構図の、おそらく同じ日に撮影された写真が、50周年から20年後に発行された『閉校記念誌 かしま 』の巻頭の現校舎の写真として使用されている。
ただ空に浮かぶ雲の形が少し異なっていたり、赤いシャツを着た人物の位置の違いだったり、シャッターのタイミングに時間差はあるようだ。
当時は、鹿島小学校の現在の姿だと思って何気なくみていたが、実は閉校式から20年前の姿を見ていたのだった。
閉校誌にのった『遺影』ともなる校舎写真だが、閉山から5年たったとはいえ、まだ人でいえば壮年期だったころの校舎の写真が選ばれ、残されたということなのだろうか。
閉校記念誌『かしま』の写真は、こちら。
タイトルに1990年代とあるが、実は、「1997年の閉校記念誌に掲載された20年前の校舎写真」ということだった。
「歴史探偵」は半藤さん・・は関係ないけど・・よく気付きましたね~
でも、私的には、なぜ学童が集う写真ではなく工事の写真を選んだのかが謎です。
直接関係はないけど、鉄筋新校舎の建設費は、当時、3千万円かかっているとの噂でした。
そして最後に解体された時の経費も3千万円だったと、これは業者さんから聞きました。
不思議な一致・・? ですが、解体の方は費用全体の一部だったかも。