三菱バス車庫と炭砿病院
2024-09-04
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昭和45年頃。
海抜318メートルにある街の上空半分を低く垂れ込めて覆う厚い雲。
雲の合間からさす強い陽射しがまぶしい。
大夕張の暮らしを思い出す。
バス車庫の思い出など 【飯田雅人】
黒い雲がおおう空。影できていることがから日差しはあるようです。
大夕張にいた時にはよく、暑い雲の合間からかっと強い太陽の光が射すことがよくあったように思います。そんな夏の日なのでしょうか。
三菱バスの大夕張営業所前から炭坑病院にむかっての風景です。
道路が舗装されていません。
街の中を熱を伝える管が通っていました。炭坑の地熱を利用したものでしょうか、この写真では炭山駅方向から炭砿病院方向に向かって管が通っています。
シューシューと音を立てて、管のつなぎ目から水蒸気を吹きあげていました。
中学生の頃、出かけるときには、大夕張駅から乗ると込むので、家からは遠くなるのですが、この営業所まで歩いて始発から乗って席を確保した覚えがあります。この頃の三菱バスは、すでに、赤と白のボディに緑と青の線の入った塗装でしたが、私の記憶の中心にある三菱バスは昭和30年代の灰色を基調とした塗装です。
炭鉱病院 【高橋勝美】
今にもキングギドラが出てきそうな空ですね😆
炭鉱病院の思い出は、雪の夜、高熱を出した私を父が栄町ブロックからおぶって運んでくれたこと😢
今でも覚えています。寒く雪深い道を炭鉱夫の強靭な体格でたやすく運んでくれました。
(2020年5月8日 掲載)
(2024年9月4日 更新)
母が炭鉱病院に勤務しておりました小学生の頃は母を迎えに病院によく行きました本当に懐かしくあの頃の若い母を思い出しました