1997年の街歩き 大夕張炭山駅駅舎
2024-09-18
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1997年 故郷を訪ねての街歩きは、残っていた大夕張炭山駅の駅舎の場所から始った。
そこは、自分が知る大夕張の街の出発点で、この先の営林署や工場地帯の建ち並ぶ「官行」との境目にあたる場所だった。
周辺の草地には線路が通っていた痕跡などみじんもなく、壁も剥がれ落ちていた。
真新しいペンキで塗られた真っ赤な屋根が印象的だった。
昭和52年頃、ボランティアの学生達が過疎化の進む大夕張に入り地域活性化の為に奮闘した中で、大夕張炭山駅舎の屋根のペンキ塗りの活動も行なったという話を聞き、当時の風景もこうだったのだろうかと思った。
飯田さん初めてお目にかかります。私は小学校1年まで、鹿島小学校に通っていました。弥生町に住み父親は炭鉱で働いておりました。シュウパロ湖になる前に大夕張に行って来ました。体育館だけ残っており、懐かしい思い出になりました。まだ、叔母が札幌、苫小牧におり去年10月に会いに行き、レンタカーで大夕張まで行って来ました。鹿島小学校の跡地を見て、何か寂しい思いをしました。ユーチュウーブで大夕張の過去をいつも見て懐かしく思い出してます。不可能ですがあの頃の友達に会えたらといつも思っています。昭和29年生まれ、とうとう70歳になったところです。何か情報がありましたら、連絡頂けたら有難いです。