歌のない歌謡曲 | 高橋正朝 #225
私が鹿島東小学校4年生のとき、すなわち、昭和33年( 1958年 )初秋に我が家にテレビがくるまで、ラジオ番組はよく聴いていた。
それら番組のなかで、松下電器のものがあった。
それが、首題の〘 歌のない歌謡曲 〙である。
ネットでチェックしたところ、ウィキペディアにその項目があり、それを読んでみたら、なんと、昨年2023年まで続いていたようである。
だから、この稿を読んでいる者のなかには、大夕張時代だけでなく、昨年まで、その番組を聴いていた人がいるかもしれない。
そのうえ、松下電器( パナソニック )単独提供の番組は終了したが、地方によっては、他社の提供のものが放送されているケースがあるようだ。
番組は、以下のナレーションから始まった。 この冒頭のナレーションは、私はよく覚えている。
〘 ナショナルのマークでお馴染みの、松下電器がお送りする、歌のない歌謡曲 〙
この冒頭のナレーションは、1957年から1973年の間と記載されている。 この冒頭のナレーションは、時代とともに変化していったようだが、私は、上記のナレーションのことしかしらない。
以前に触れたことだが、当時のマンガ雑誌に、立志伝中の人物が紹介されることがあり、松下幸之助はその筆頭だったことが多かった。
そういうことだったから、松下幸之助そのものが、広告のシンボルだったようなものだ。
また、松下幸之助は、広告の重要性をよく知っていて、カレンダーにさえもダメをだしたケースもあったようだ。
歌謡曲が、色んな楽器で演奏されていたが、なかんづく、サックスで演奏されたものは、歌謡曲のメロディとよく調和されていた。
この番組は、平日の朝の時間帯に15分間放送されるのが基本だったようだが、例外もあったようだ。
ウィキペディアには、こう書かれている。
〘 全国37局で放送されたが33局は放送回数が15000回を超えており、テレビラジオを含めた日本の民間放送の最長寿番組となった 〙
(2024年11月30日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:taka-jp@outlook.com (メール宛先変更になりました)
歌のない歌謡曲
だれでも一度は耳にしたことがある番組かもしれない。
ボーカルのない、曲演奏だけの類似の番組は他にもあった。
・・・・
大夕張で父がレコードを取り寄せで買っていた。
大夕張にレコード店はあったが、売り場もせまく店頭では手に入らないレコードも多かっただろう。
家に届いたレコードにはクラッシックやギター演奏などのLPもあった。
その中に歌謡曲の題名が書かれたLPがあった。
流行歌に興味を持ち始めた年頃だった自分は、さっそく当時買ったばかりの卓上のポータブルレコードプレーヤーにのせて聞いた。
ところが流れてきたのは、期待した歌手の歌声はなく、ゆったりとした演奏だけの曲ばかりだった。
なぜ、歌手の歌が入っていない、そんな曲ばかりを集めたレコードをわざわざ父は買ったのか不思議だった。
大夕張を出て時がたち・・・
ラジオの『昼の歌謡曲』も良かったが、疲れた夜に聞く城達也の『ジェットストリーム』もお気にいりになった。
歌声が入らない歌謡曲が物足りなかった時代から、歌の入らない曲でリラックスできることを知った。
『歌のない歌謡曲』が長く続いたそんな理由だったのだろう。