Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
たった一度の夕張岳登山|飯田雅人 思い出ばなし

たった一度の夕張岳登山|飯田雅人

昭和30年頃 夕張岳山頂での父の姿  たった一度の夕張岳登山。  夕張岳山頂。ここに初めてのぼった時、金山営林署と書いてあるのを見て、夕張側しか見たことなかった中学生としては、なんで大夕張でないの?と素朴に思いました。  残念ながら私の山頂写真はありません。ここにうつっているのは私の父です。北海道に…
1951年(昭和26年) 昭和

1951年(昭和26年)

1月 10日,鹿島裏千家松風会(茶道)設立。萩野恭子(s31年時会員17名)  18日,成人祭記念NHKのど自慢コンクール(協和会館)   2月 カッペ採炭開始。   10日,仮称鹿島第2小学校(鹿島東小)校舎新築工事竣工。    13日,南卸で自然発火,傷者12人。(春) 鹿島開拓団設立。団長吉田…
平成25年 上空からの夕張岳とシューパロ湖 |M.Hiraike 写真

平成25年 上空からの夕張岳とシューパロ湖 |M.Hiraike

稚内から羽田への飛行機の中から夕張岳、シューパロ湖が良く見えました。高度は8000m位でしょうか?良く見ると、三弦橋や白銀橋も見えました。感動でした。(2013/10/20(Sun) 21:35 ) シューパロ湖と夕張岳前岳と夕張岳シューパロダムシューパロ湖全景新白金橋と旧白金橋 シューパロ湖と夕張…
泉町全景 思い出の街角

泉町全景

昭和20年代と思われる。鹿島小学校体育館から裏手から宝沢に沿った町が見える。 沢沿いに町がありました。道路が宝の沢をかこむようにぐるっと半円を描いていました。鹿島小学校から千年町の方に行く時,踏切を渡って岳富町の商店街を通っていくか,線路沿いに築堤にそった小道を歩いていくか,遠回りになるこの道を歩い…
第1編 沿革 第8章 二股ダム建設に伴う鉄道移設補償工事 山史

第1編 沿革 第8章 二股ダム建設に伴う鉄道移設補償工事

第8章 二股ダム建設に伴う鉄道移設補償工事 1、 二股ダムの建設 昭和27年、北海道開発局の手により、空知4ヶ町村(由仁、栗山、栗沢及び長沼)の既成水田7720haの完全補水と4145haの新規開田並びに年間6650万Kw/hの発電を目的とし多目的ダムの建設に着手。 昭和35年12月、湛水及び発電を…
春(1999年5月2日)|本間正雄 写真

春(1999年5月2日)|本間正雄

 大夕張は札幌へ出て来てからもほとんど毎年数回行ってます。5月2日に昨年の秋以来半年振りに見てきました。まだ解体されない家が十数棟在りますが写真を見ての通り野原です。 この写真は三十数年振りに大夕張神社から写したものです。ここから見る夕張岳は格別で大夕張の夕張岳という気がしませんか? 原野にかえる大…
昭和45年頃 大夕張駅から炭山へ 思い出貼

昭和45年頃 大夕張駅から炭山へ

大夕張駅から大夕張炭山駅方面へ向かう列車と見送る駅員さんの後ろ姿・・・。大夕張の風景に溶け込んでいます。向こうに見えるのは富士見町の住宅。ホーム脇に伸びた雑草が晩年の大夕張を感じさせせつなくさせます。…
1950年(昭和25年) 昭和

1950年(昭和25年)

2月 24日,鹿島小学校児童数増加により鹿島第2小学校建設を目的とした期成会が発足。3月 31日,鹿島小第6代横路時雄校長。鹿島中第2代河合清校長。4月 1日,明石巡査駐在所設置。(明石町駅前の炭住の一角に。s38.駅横に新築 s49.4.1廃止)  三菱鉱業(株)が美唄鉄道(株)を吸収合併。「三菱…
1949年(昭和24年) 昭和

1949年(昭和24年)

1月 25日,遠幌小学校開校。3月 常盤町、 明石町ができる(第一農場に300戸新築) ※当時明石町への道路はなく、鉄道だけがたよりであり、住民は急ぎの用事には、線路を往復、鉄橋を渡って行き来した。4月 夕張市消防団設置区域、組織に関する規制制定に伴い夕張消防団9分団定員403名、鹿島消防団6分団定…
1948年(昭和23年) 昭和

1948年(昭和23年)

1月 遠幌駅構内北炭枝線完成。北炭遠幌砿送炭開始。2月 1日,鹿島青少年団育成会(小河内孝男1100名)3月 1日,中島組,中島工業株式会社に。(本店夕張市鹿島一番地 取締役社長中島政雄)  緑町青年会(小井出政吉53名) 7日,大夕張駅構内にて下り列車側線進入脱線事故。 21日,常盤町青年会(古地…
礦業所建物配置図 地図

礦業所建物配置図

昭和33年の礦業所建物の配置。元の資料は大夕張全体に及びますが、そこから礦業所をピックアップしたもの。残念ながら一つ一つの建物の詳細については自分にはよくわかりませんが、主な建物には名称が記載されています。 昭和33年の資料から https://ooyubari.com/2020/04/16/mit…
ネットDE思い出ノート 回想・随筆

ネットDE思い出ノート

NHKBS『私のふるさと物語』大夕張ロケの翌日、2001年10月29日から、番組が放送された2002年1月12日まで、当時鹿島小学校横に設置されたいた『思い出ノート』のネット版として、「ネットDE思い出ノート」という掲示板を期間限定で開設しました。そこに書き込んでいただいたものです。 ああ~大夕張 …
吉野沢公園 思い出の街角

吉野沢公園

昭和45年頃の吉野沢公園 吉野沢公園  【飯田雅人】 三菱大夕張鉄道の駅の一つにシューパロ駅という駅がありました。昭和37年大夕張ダム完成の年に開業し,昭和43年には廃止になるという,何年かの間しか存在しなかった駅でした。そこには,ちょっとした公園や湖畔亭という食堂がありました。駅の廃業とともにそこ…
吉野沢公園と石炭列車 思い出貼

吉野沢公園と石炭列車

昭和48年、吉野沢【明石町駅~シューパロ湖駅間】 新緑の萌え出す初夏の吉野沢公園。周囲の景色を映し出す湖畔の穏やかな池。その吉野沢公園付近を走る列車・・・はじめこの写真を見たときはなんて美しく平和な光景だろうとため息がでました。しかし黒い車体にペインティングされた『閉山反対』の文字が遠目にもはっきり…
僕と木(2000年6月25日)|飯田雅人 訪問記

僕と木(2000年6月25日)|飯田雅人

富士見町2丁目の大木の辺り (平成12年6月25日)  すでに住人の立ち退きが終わり,建物がほとんど取り壊された,大夕張だけれど,街あとをあるけば,草や木々に被われてはいるものの土地がある限り,記憶につながるモノにまだめぐり合える。  富士見町3丁目と2丁目の間に大きな木が立っていた。 ささやくん,…