2丁目3番地 滝ノ沢岳/前岳/夕張岳 子どもの頃から見慣れた夕張岳の姿。 子どもの頃、あの尖った一番高く見えるのが夕張岳だと思っていたのに、平らでテーブルのような奥に見えるのが夕張岳だったという、かわいい誤解。 夕張岳を後ろに従え前に立つ前岳。 その凜として威厳ある立姿は好ましかった。 「覚えている夕張岳の絵を描きなさい」 … 続きを読む
2丁目3番地 鹿島小学校記念写真帖(記念アルバム) 昭和28年(1953年)に配付された鹿島小学校の25周年記念アムバム。 鹿島小学校、開校25周年を記念して作成された『昭和28年学校概要』には、行事予算として記念写真帖(記念アルバム)の項目が、とられている。 当時、5000円というとけっこう大きな金額である。 どれくらいの数が配… 続きを読む
2丁目3番地 猫と犬のなまえ 以前、『猫とブルドック』で林さんが、「岳富町の時計屋さんのショーウィンド」にいた真っ白い猫のことを書いた。 この真っ白い猫は、左右の目の色が違う猫だった。時計店の名前は書かれていなかった。 この時計屋さんは、「散歩道」の岳富町の住宅地図を見ると、昭和43年当時、安田靴店と木村呉服店の間… 続きを読む
2丁目3番地 フランスギクと花占い(大夕張の花) 道端のフランスギク 草丈20cmから1mくらいで、道端でよく見る可憐な白い花。 寒い冬の北海道でも越冬し、野生化し繁殖力のある外来種。 いまでは、他地域から導入された種が在来種に大きな脅威を及ぼしている植物として、北海道ブルーリストにものってしまった。 子どもの頃は、たしかマーガレットと… 続きを読む
2丁目3番地 アメダス(AMeDAS)鹿島観測所 気象庁が日本全国津々浦々に設置している地域気象観測システム「Automated Meteorological Data Acquisition System」の略。 簡単に記しておくと、 ・降水量、風向・気温、日照時間の観測を自動で行なっている。 ・1974年… 続きを読む
2丁目3番地 すずらん灯 昭和30年代の千年町商店街の写真を見ていると、目につくのはすずらん型の街路灯である。 球形のライトが鈴蘭の花のように連なっている洒落たデザインである。 同じく昭和31年のメーデーの大夕張駅前の写真にもすずらん型の街路灯が写っている。 対して昭和40年代、大夕張駅前周辺の写真をみると円盤状… 続きを読む
2丁目3番地 春は線路からやってくる 私の住む札幌もようやく雪がとけ、春の訪れを感じさせます。 そんな時期になると、いつも思い出す、忘れることのできない詩があります。 大夕張を出てから出会った、言葉に初めて故郷を感じた、詩でもありました。 小学校の国語の教科書にのっていた詩です。 「春」 杉みきこ (加代の四季より) 春は、… 続きを読む
2丁目3番地 別世界 昨年、父の50回忌と母の3回忌の法要をすませた。そして今年、自分が大夕張を出て50年。 「区切りの年として、大夕張に行こう」と思ったものの生来の不精者故、のびのびになっていた。 今年になって3月9日10日、天気予報は、気温が上がり好天が続くと聞き、「父と母を連れて大夕張に行ってこよう… 続きを読む
2丁目3番地 三菱・夕鉄 バス停留所 昭和の大夕張、バス停留所を作って(描いて)みた・・・。 地図のネタになるか、空想の街のジオラマを彩る一素材になるのか。 用途は定かではない笑。 それはともかく実際の写真やビデオに写りこんでいるものを参考にした。 昭和30年代から昭和40年頃の自分がいた街がベースになる。 当時の三菱バス停の標識は… 続きを読む
2丁目3番地 シューパロ湖畔の若者たち カラー版 「ふるさと大夕張2丁目3番地」で、初めて写真のカラー化に取り組んだ。 初めは、2020年2月、ここ「2丁目3番地」を開設した時に「カラーにするとなんだか雰囲気がちょっと違う」みたいなノリで、AIで写真を自動着色してくれるサイトを見つけ、そこでどんどん変換していった。違いがおもしろくて元の白黒写真と着… 続きを読む
2丁目3番地 若者たち つぎは、2003年に書いた投稿から、書き出した文章です。 これまでもHP中の思い出に投稿されている小林俊治さんから 『昭和41~42年のテレビ番組』 と題して次のようなメールをいただきました。 『このころ、北海道の各炭鉱の事故をニュースで聞くたびに悪い情勢へ・・・・・高度経済成長の時代で、ふっと… 続きを読む
2丁目3番地 2022年2月16日でのアクセス数 どうでもいいという話といえば、これはどうでもいい話なのですが、サイトを運営する者としての自分の記憶と記録のために書き留めておきたいと思います。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』のアクセス数が、昨日の昼頃『1.311.036』となりました。 『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』のカウンター… 続きを読む
2丁目3番地 父とカメラ 白黒写真に着色した画像 高い雪壁の前でファインダーをのぞく父 昭和30年頃 父は、当時カメラに凝っていたという。 自分は、当時のそんな姿は見ていないが、たしかにアルバムには、家族や同僚を対象にした写真が多く残っている。 昭和20年代、あまりカメラを持っている人も少なかったと、… 続きを読む
2丁目3番地 札幌にあった三菱の宿泊施設 覚え書き 実は、『札幌にあった三菱の宿泊施設』は前回の『その3』で終了の予定だった。 記憶の中にあった、自分が泊まった北1西8の寮と、スキー部が泊まっていた南3西23あたりにあった寮。 この2つは記憶に確かにある。そして、北2東6の三菱鉱業寮にも泊まった人がいる可能性もないわけではないということだった。 … 続きを読む