運んだ、石炭を人を

昭和45年頃 大夕張駅から炭山へ 思い出貼

昭和45年頃 大夕張駅から炭山へ

大夕張駅から大夕張炭山駅方面へ向かう列車と見送る駅員さんの後ろ姿・・・。大夕張の風景に溶け込んでいます。向こうに見えるのは富士見町の住宅。ホーム脇に伸びた雑草が晩年の大夕張を感じさせせつなくさせます。…
吉野沢公園と石炭列車 思い出貼

吉野沢公園と石炭列車

昭和48年、吉野沢【明石町駅~シューパロ湖駅間】 新緑の萌え出す初夏の吉野沢公園。周囲の景色を映し出す湖畔の穏やかな池。その吉野沢公園付近を走る列車・・・はじめこの写真を見たときはなんて美しく平和な光景だろうとため息がでました。しかし黒い車体にペインティングされた『閉山反対』の文字が遠目にもはっきり…
蒸気機関車と火の見櫓 思い出貼

蒸気機関車と火の見櫓

昭和45年 大夕張駅の9600『No.6』と火の見櫓   蒸気機関車と火の見櫓  【飯田雅人】 大夕張駅、蒸気機関車は停車中のようです。消防署の建物、火の見櫓とかねがはっきりうつっています。 大夕張で火事は一度だけ、近所の家でありました。富士見町の啓心寮と、倶楽部の近くだったと思います。紅…
二股停車場 思い出貼

二股停車場

明治45年(大正元年)まだ、南部が大夕張で、北部大夕張は未開発。終着駅は二股(南部)だった頃の大夕張。大夕張炭坑株式会社の二股停車場(旧南大夕張駅)。 後ろの大夕張炭坑選炭場の屋根に当時の社紋が見えます。 明治45年(大正元年) 二股停車場(旧南大夕張駅)   大夕張炭坑株式会社の社紋 &…
ボンネットバス 運んだ、石炭を人を

ボンネットバス

昭和33年頃の三菱バス営業所。三菱鉱業バスが大夕張地区内を走り始めた(山内バス)当初、ボンネットバス2台での運行でした。  三菱バスの旧塗装色は、なぜか『都営バス』の塗装と同じだったそうです。 (注)下は白黒写真に色づけをしたもので、本物と同じかどうかはわかりません。まあ、そこまでこだわる人はいない…
山内バス開通式 思い出貼

山内バス開通式

昭和31(1956年)年9月6日、炭鉱病院横の、車庫で大夕張地区内を走る山内バスの開通式が行われました。 当時三菱美唄鉄道バス。 昭和36年に、三菱鉱業バスと名称変更。 当時、大夕張地域を走るバスを「三菱バス(みつびしばす)」と呼んでいました。 秋晴れの午後の開通式。 カメラマンの足下の影が長く伸び…