楽しかった日々 父と七夕の記憶 | 宮内文人 父親が他界して8年になりますが、若いころは写真撮影の趣味もあって、暗所でよく現像している様子が記憶に残っています。 投稿写真は、昭和33年8月7日の七夕祭りの様子です。 代々木町8丁目に住んでいました。 2歳の私が写っております。 同じ長屋に山本さんという方がいて、よく私のこと… 続きを読む
楽しかった日々 闘犬の記憶 闘犬は、大夕張でも場所を変えて巡業のような形で何ヶ所かで行なわれていたのか、あるいは、毎年、その年によって違う場所で行なわれたのかわからない。 ある時期(昭和30年代中頃)流行り、その後すたれたそうである。 この闘犬が行なわれていた写真の場所、話によると、春日町であれば、弥生町から春日町に… 続きを読む
楽しかった日々 昭和31年 鹿島小学校6年修学旅行 昭和31年9月13日の記載がある。 修学旅行に祖父が教頭として同行したときのもの。 大夕張では、この3日後、9月16日に山内線の開通式を迎え、街の中を三菱バスが走りだす。 『バス』という乗り物。それまでは、めったに乗ることはもちろん、目にすることもなかった。 まして『陸の孤島』下の大夕張。 … 続きを読む
楽しかった日々 泉町子供会 昭和37年 泉町の行事。 子供会 卒業記念子供大会。 後ろにある掲示物から・・・・ 『卒業・就職?・進学・◯◯(読めない) 子供大会』 ここに写る子供会の面々、小学校低学年から、中学校の制服姿の子まで、このあたりまでが会のメンバーだったのだろうか。 久々湊さんが、式次第についてふれている… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車3 昭和35年、南大夕張貯木場。 当時の南大夕張営林署勤務の方たち。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』の写真に続く、機関車のノーズ部分のようだ。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』で機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車2 昭和35年、南部貯木場の若者たち。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車1』に3人の男女が乗っているのがわかるが、流れからいうと、手前の席に座っていた男性が降りて真ん中と左はしの女性二人を撮影した写真のようだ。 カメラに向ける笑顔が楽しそうである。 機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車1 昭和35年。 自分との関わりでいうと、ものごころついた昭和40年代日常の生活の中で森林鉄道の存在を意識したことはほとんどなかった。 あるとすれば、ダム湖畔から見える三弦橋その他のいくつかの橋梁たちを見たときに、木材を積み出す汽車が走っていたんだなあ、と思ったくらいだった。その頃は、すでに廃止にな… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 トロッコ2 昭和35年。 南部貯木場の若者。 トロッコにのって正面から写したショットを見ると、あの映画の名シーンを思いだす。 森林伐採の作業から脱獄計画に巻き込まれた主人公の橘が、ブレーキの効かない猛スピードで走るトロッコにのってひたすら雪原を逃げる。追いかけてきた保護司が猟銃を打ちまくり鬼気迫る迫力のシーン。… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 トロッコ1 昭和35年。 南部貯木場。 先頭に立ってポーズをとる青年の姿の後ろには、子どもや女性の姿も見えていて、これも当時行なわれた何かの行事の一コマだったのだろう。 白黒写真に着色した画像 左に見える気動車は野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと同型で、次のよう… 続きを読む
楽しかった日々 そり遊びとボッコ手袋 昭和35年頃 富士見町5丁目、炭鉱住宅は、ほぼ規格が決まっていた。 このあたりは病院の関係者などが多かった。一軒2戸、横には畑というか雪のない時期には、家庭菜園になるような空き地のスペースがあった。 窓も埋まるような雪が降った後は、その空き地の方に向かって坂を滑る絶好のスペースが出来て、冬の遊びに興… 続きを読む
楽しかった日々 雪とともに 雪の多かった大夕張。今ではほとんど見ることの無くなった木製のスコップ。柄の長い「雪かき道具」 『ジョンバ』とよんでいた。 雪をのせる木の板は3方を板で囲み、雪が落ちないようになっていた。 サラサラ雪の北海道ならではの雪かき道具だったという。 それでも木製の『ジョンバ』は、それ自体けっこうな重… 続きを読む
楽しかった日々 病院の庭 父のアルバムから。 昭和28年頃。映っている三人は、後に結婚する父と、母。一緒に映るのは薬局の看護師の前田さん。 父は炭砿病院の薬局で、母は、病院の経理で働いていた。 宝町に住んでいた母と前田さんは、子どもの頃から仲がよく、遊んだり、習い事にも一緒に通っていたという。 私にとっても懐かしい三人の姿で… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十のゲレンデ(3) 『大夕張小唄』にも詠われた『八百五十』。 見渡す限りの銀世界 スキーで鍛える この体 スキーをするには絶好の斜面で、ヒュッテもあった。 山神社から尾根伝いにいくコースと、沢づたいに行く2つのコースがあった。 ヒュッテは、吹き抜けの2階もあり、スキーの合宿ともなると十数人もの人数が宿泊する大… 続きを読む