街の行事 大夕張神社みこし渡御 昭和4年5月9日、礦業所が南部から大夕張へ移転するに際して、礦業所により建立された炭鉱守護のための神社。建立当時の写真で、富士見町から、鹿島小学校グラウンドに向かって進む。 大夕張神社由来については、以下。 https://ooyubari.com/2020/05/08/jinjyayurai… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅改札 昭和35年頃 遠幌駅の改札。なんとも懐かしく心地よい陽だまりのホーム。この改札を何人の人が往来したでしょうか。遠幌駅のみならず、当時は当たり前に見ることのできた駅の光景も今はもう見ることができません。… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #4 夕張線(下り)夕張神社発大夕張行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 夕張神社発 市立病院 → 市役所 → レースイハイランド前 → 北高 → 鹿の谷 → 若菜 → 清水沢 → 清栄… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #3 夕張線(上り)大夕張発夕張神社行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 大夕張発 千年町 → 明石町 → 吉野沢 → 湖畔 → 三菱南大夕張 → 南部 → 新緑町 →案内所前 → 菊水… 続きを読む
学び舎の思い出 夕張東高 強行遠足 昭和45年頃? 夕張東高等学校の閉校記念誌『岳窓』からのひとこまですが、東高の行事,『強行遠足』とありました。明石町にあった東高から開拓に向かって走るマラソン大会のようなものだったのでしょうか。… 続きを読む
パノラマ 昭和40年代大夕張パノラマ(スライドショー) 『昭和40年代大夕張パノラマ』のパノラマ写真を四分割のスライドショーにしてみました。一枚ごとにじっくりみることも可能です。 元になった『昭和40年代大夕張パノラマ』の写真は、次のページから見ることができます。 https://ooyubari.com/2020/06/16/panoramas40/… 続きを読む
思い出の街角 鹿島通運(株)本社 昭和28年11月1日、鹿島通株式会社発足。遠幌・南大夕張・大夕張・大夕張炭山、各駅に営業所を置き、事業を行った。 以下のページから、大夕張駅前にあった鹿島通運をみることができます。 https://ooyubari.com/2020/06/11/ksimaekibig/… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #2 札幌線(下り)札幌発大夕張行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 札幌発(京王プラザホテル前)のバスなので、案内される停留所は北二条西六丁目からです。 北二条西六丁目 → 北二条西… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #1 札幌線(上り)大夕張発札幌行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 大夕張発のバスなので、案内される停留所は千年町からです。 千年町 → 明石町 → 吉野沢 → 湖畔 → 三菱南大… 続きを読む
運んだ、石炭を人を フジキ式 石炭ストーブ 昭和62年 さよなら列車直前のだるまストーブです。 この石炭ストーブは、昭和62年に三菱石炭鉱業鉄道が廃止になってからも、南大夕張に置かれていた列車内にあります。 この石炭ストーブは昭和51年の春から登場した「フジキ式」と呼ばれるもので、蒸気機関車時代に活躍したダルマストーブは「たこストーブ」… 続きを読む
思い出の街角 し尿処理場越しに鹿島中学校 昭和45年頃。昭和43年白銀橋が落橋した際、鹿島中学校の裏の方を通って開拓に向かう道路が建設されました。手前中央が、し尿処理場、その向こうに鹿島中学校、2階建校舎が写っています。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 鉄道切り替え工事 昭和30年代、二股ダム(大夕張ダム)建設にあたり、鉄道の山側への切り替え工事が行われていました。下に見えるのは、鉄橋のあとだろうか。 山史に移設工事の記述があります。 https://ooyubari.com/2020/04/18/yamasi-8/… 続きを読む