運んだ、石炭を人を 遠幌駅構内 昭和35年頃 遠幌構内積下 【本間正雄】 遠幌駅構内積下は昭和35年前後で、この時期大夕張炭鉱の奥部立坑が、八百五十の近くに建設中で、遠幌からエンホロカベツ川沿いの林道から建設資材を運搬しました。 遠幌駅構内はその時の骨材の積み下ろし作業です。… 続きを読む
思い出の街角 南大夕張駅 昭和62年(1987年) 南大夕張の駅はホームからちょっと小高いところにあった駅でした。私は,大夕張が閉山になる前の南大夕張の記憶しかありませんが,南大夕張に主力が移ってからは市内の高校への通学等この駅舎を起点に通った方も多いと思います。 この写真が撮影された,昭和62年7月に,清水沢~南大夕張… 続きを読む
楽しかった日々 野球チーム 昭和31年頃。 後ろの山と建物の様子から、場所は鹿島小学校のグラウンドのようです。野球大会で好成績を収め、金杯と賞状を手にした野球チーム。 胸のチーム名は『KUROSA●』と読めるのですが、最後の一文字が読めません。 大夕張の野球チーム 【Masami Kawauchi】 何年かわかりません。大… 続きを読む
街の行事 昭和39年春日町 お祭り 昭和39年 春日町詰所前の道路 初めてのお祭り【Masami Kawauchi】 私 初めてのお祭りです。小学4年生ですね。人数が少ないですね 何故か? 小学5年と6年の時は、もっと人数多いです。 詰所前の道路です. 詰所前には道路はさんで お風呂が有りました。 詰所の裏に広場があり ラジオ体操など… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ川上流(官行) 平成19年(2007年)1月 取水堰より上流のシューパロ川。上を通っていた国道から下を見る。川の中に小さな建物が建っています。子どもの頃、遠足の時にもこのあたりに、施設があったことを覚えています。 このあたりには、初音沢に水をあげるポンプ場があったという話を聞いたことがあります。 平成19年と… 続きを読む
タイムスリップ 1960年(昭和35年)列車折り返し運転 1.列車を降りて2.崩落した崖を見上げる3. 土砂に覆われた現場と待機する列車4. 列車を乗り換える5. 崩落現場越しにふり返る 崩落により列車をのりかえる高校生たち 【本間正雄】 大夕張からは、地元の鹿島高校(夕張東)に通う高校生以外にも、夕張北・夕張南・夕張工業高校に通う高校生たちが多数、列車… 続きを読む
炭鉱とともに 第27回メーデー(昭和31年) 先頭を行く看板に「第27回メーデー」の文字が見えます。後ろには大夕張炭砿労働組合の旗が翻ります。第27回メーデーは、昭和31年。場所は不明ですが、緑町から宝沢(岳富町)方面に向けてのあたりにも見えます。 先頭を行く看板には、立ち上るキノコ雲の絵に、『再軍備絶対反対!!』の文字が読み取れます。他に… 続きを読む
パノラマ 大夕張パノラマ(S32~H14) 昭和32年8月 ①昭和32年8月撮影 鹿島中学校は平成8年3月10日閉校しました。 昭和53年8月 昭和53年8月撮影 大夕張閉山5年後 平成2年8月 ③平成2年8月撮影 あなたにとって思い出の場所はどこですか。そして指でここに何があったか思い出せますか。滝の沢岳1352.8m 前岳1501m … 続きを読む
学び舎の思い出 裏から見た東高 裏側からの夕張東高 【藤田育雄】 この写真は結構貴重なアングルです。 卒業生が見たら泣いて喜ぶでしょう。裏側の教室、体育館きっと感動すると思います。 裏山からの光景 【飯田雅人】 東西を山に囲まれていた大夕張に住んでいた方々には,きっと共通のものでしょう。家の裏,学校の裏から、尾根伝いに、ある… 続きを読む
楽しかった日々 相撲大会と土俵 年代場所不詳 後ろの住宅は線路越しの緑町のあたりのようにも見えるが・・・。 昭和30年代、大夕張の各町内に土俵があったようです。写真の土俵は四本柱が立っていて屋根もある立派な土俵ですが、私がいた富士見町にも、柱はなかったものの土俵がありました。富士見町5丁目の病院向、小公園にあったと記憶しています… 続きを読む
思い出の街角 本間商店 栄町 昭和26年 冬 【本間商店の歴史】 (ふるさと誌「大夕張」本間勇吉氏談) S21年 12月闇市で露天商を営む。S23年 間口2間奥行2間の店を建てる。三菱から30軒中7軒に営業許可。S27年 隣接の三上商店を買収。カメラ・運動用品等で店を拡張。S35年 テルミー美容室開業。S38年 森永牛乳店開… 続きを読む
街の行事 春日町の盆踊り 昭和36年頃 春日町詰所そばの広場。夕暮れ時、子ども盆踊りの始まる頃でしょうか、電球にあかりがともりはじめているようです。 春日町の盆踊り【ヒロ みうら】 うわっーメチャ懐かしいですね。 感じでは詰め所裏のような気もしますが、夏の終わり、日暮が本当に早かった季節ですね。 一瞬の夏の輝きが脳裏に甦… 続きを読む
炭鉱とともに ズリ山 昭和40年頃 採掘された石炭のうち、廃棄する捨て石をズリといい、長年にわたって積み重なった結果ズリ山ができる。同じ炭砿でも、九州辺りの炭砿では、同じものをぼた山と呼んでいるそうです。「ズリ山・ぼた山」昭和30年代、子どもだったからなのか、特に使い分けずに、両方の呼び名で呼んでいたような気がします。… 続きを読む