思い出ばなし 大根の花 |ziny 11月の今頃はもう、鹿島の地も白くなっては、消え、また白くなっては消え、地面はゴム長靴の時期でしょうね。 あの頃の夏には、代々木町2丁目の我が家の前庭にはとうきびが結構大きくおがってました。 おばけとうきびといった実の不揃いのも、まま、ありましたが、甘くて美味しい味の思い出です。 トマ… 続きを読む
思い出ばなし 錦町界隈|久々湊真一 「始めてのお買い物」というTV番組を見ていて、いつのまにか大夕張にタイムスリップしていた。 *** 自分の始めてのお買い物は、錦町入り口の購買会なのだろう(憶えていませんが)車も走っておらず家のすぐ前なので、スリルも何も無かったろうなぁー*** と。 錦町購買会は2階建ての大きな… 続きを読む
思い出ばなし むかし話 スキー場 山小屋風食堂 | 泊川俊徳 昭和38年以前、大夕張のスキー場に、 リフトロープ上がり付近に、スキーの季節だけラーメンやうどんを食べられる山小屋風の食堂が有りました。 冬、これと言う娯楽のない大夕張。 冬はスキーくらいしかなく、朝から夕方まで滑り、昼はこの食堂で、あたたかいラーメン、うどんでした。 まだ、かけラ… 続きを読む
思い出ばなし 泉町仮装行列始末|久々湊真一 「知られざる泉町」に一部書いた泉町の仮装行列につき記載します。 既に書いてあったのですが、品が無いので掲載を見合わせていたものです(一部表現に不適切な部分があることをお許し下さい)。 何の仮装を行うかは、町内会の三役が決めたようで、 「今年は××をやれ」 と有無を許さぬお達しがありま… 続きを読む
思い出ばなし 大夕張っ子の茶飲み話 ある日、あるとき昔の子どもたちが、チャットをしていた。 ピーヒャラ、ピーヒャラ笛の音と花火の音。 1950年代に生れた人たちのようだ。 話は、お盆の話から花火の話に・・・・。 みなさん、こんばんは。静かなお盆をお過ごしでしょうか。 炭鉱も石炭で湧いた景気いい時代でした。 暗くなりだ… 続きを読む
思い出ばなし たなばたの思い出|小野美音子 緑ケ丘のブロック2棟8軒で、心に残る七夕があります。 当時小学校6年生の兄が企画し、音頭を取って、皆が楽しみました。 兄達が大きめの笹を用意し、皆に願い事の短冊を書くように言いました。 そして、それは2階の星山さんへの階段のところに、きれいに飾られました。 リンゴ箱のステージで、小さ… 続きを読む
思い出ばなし 偶然にも程がある|工藤 央 東京で仲良くなった友人の結婚式で、お父様と話をさせていただくとき、 「お父さん、工藤さんも夕張生まれなんだって」 と紹介され 私 「夕張でもさらに奥の大夕張なんです」 友人父 「僕も大夕張ですよ」 私 「でも大夕張でも端っこの明石町なんですよ」 友人父 「え?私も明石町ですよ!」 … 続きを読む
思い出ばなし 夏のメロン|工藤 央 夏休みには、父が女子バレー部の顧問をしていた関係上、家にバレー部の方が合宿に来ていたということも憶えています。 あんな狭い家に7~8人くらい来ていたんでしょうか? 夏の思い出としては、教え子の方から「夕張メロン」をいただいていたことでしょうか? ほぼ毎日に近い… 続きを読む
思い出ばなし 取水堰の八つ目 | 泊川俊徳 メタノール工場横にあった 堰堤での話。 小学校の頃、父が雨で増水した堰堤附近の川で、八つ目を水汲みのバケツ、2つ・3つ採って来ていました。 父は八つ目採りが得意だったようです。 釣り竿は、使わないで採って来てました。 雨で増水した川岸に、八つ目が集まる場所があるようでした。 バケ… 続きを読む
思い出ばなし 取水堰 堰堤と八つ目|EZONORA 堰堤の下には、なんのためか知りませんが穴倉があって、その穴倉に八つ目が集まっていました。 カーバイト灯火をつけて、その穴倉に潜り込んで、八つ目を獲っていました。 当時、カジカをガッペと称していたようですが、私はゴタッペと言っておりました。 箱メガネとヤスで、ゴタッペを、よく刺していました。 … 続きを読む
思い出ばなし 富士見町6丁目の坂|EZONORA 鹿島小学校を背にして、ほぼまっすぐの道路を進んで、どんづまりから少し下ったところの富士見町6丁目に住んでいたことがあります。 思いつくことといえば、鉱業所に勤務していた方だと推測しますが、大変太った方が、退社の時間になると、自力では坂道を登ることが無理があったのか、いつも同僚らしき人のズ… 続きを読む
思い出ばなし かしこいカラス | 成田利夫 カラスはたくさん飛んでましたねえ。 確か夕方になると空が半分くらい真っ黒になっていたのを覚えています。 小学校に通う道の真ん中でカラスが留まっていたので、いたずらに石を投げてみると見事にカラスの胸に当たりました。 カラスはびっくりして翔んでいきましてそのまま小学校に行き、学校帰り… 続きを読む
思い出ばなし カラスの襲撃 |石原賢治 小学5年の頃、ソロバンを習っていまして、ある日曜日に鹿島中学校で昇級試験がありました。 早めに富士見町の家を出て、歩いて中学校へ向かいました。 岳富町を通る時、何を血迷ったのか、歩道の上の擁壁伝いを歩いていました。 そう、鉄道のすぐ脇道を歩いたのです。 これは、正式な道ではありません。… 続きを読む
思い出ばなし 時計屋さんの白ネコ | 内川准一 林さんの『猫とブルドック』の話を読んで、 ずうっと考えていました。 岳富町の時計屋の窓にいたという、両眼の色が異なる猫のことです。 昭和37年まで、弥生町の我が家で飼っていた猫がそうでした。 白地に茶色の斑が混じる二毛ネコで、片眼が金色に近い黄色で、もう一方がブルーグレーのような… 続きを読む