思い出の記 昭和45年 バイクで写真撮影|Kawauchi Masami オートバイと私 1970年、昭和45年です。 オートバイに乗ってた私は、閉山の噂がで始めた頃だと思うのですが 撮っていた方がいいかなと言う感じで、その日のうちに春日町の吊り橋 神社からの風景 大夕張ダムを 撮って歩きました。 昭和45年、明石町の、鹿島自動車教習所跡地にて。当時イージライダー… 続きを読む
思い出の記 帯向酒店の電話と社内電話|Kawauchi Masami 大夕張に、2種類の電話が有りました。 私が帯向商店に働いてた頃、昼ご飯に、池田屋食堂から出前を取っていました。 帯向商店は、三菱購買会の前にありました。 私が15歳の時、社長は50〜60歳くらいでした。 お婆さんもいて当時85歳くらいだったので、私達より2世代上で、大夕… 続きを読む
思い出の記 昭和60年頃のビデオとスキー場そり遊び|Kawauchi Masami 昭和 50年ごろ、8mmが欲しくて迷っている時、世の中にビデオカメラが出てきました。 直ぐ買いました。 昭和53年の時です。 その時はカメラが28万円。しかし ビデオデッキが無ければ使えませんでした。ビデオデッキも28万円しました。 でもカメラに覗き窓だけで、ピントはテレビの画面見て合わせま… 続きを読む
思い出の記 南大夕張の選炭機|Kawauchi Masami 私が勤務していた南大夕張の選炭機のはなしです。 運転の時、操作盤のランプテストあとに、工場内に2回のベルの合図、3回目で運転です。 運転は両手で、同時に2つの運転スイッチを押します。 順番に運転していきます。 石炭が上がってきました。 水槽で煽りながら、比重の違いで石炭とズリを、分けてい… 続きを読む
思い出の記 採炭から選炭へ(後編 選炭)|Kawauchi Masami 選炭機 石炭の選別 選炭機では『1号炭』、『2号炭』、『ズリ』に分けられます。 コンベアにのって石炭が運ばれてきました。 水に入れて煽っていきます。 水は流れています。その中でズリは沈み、ズリ山へ運ばれます。 少し軽い石炭は2号炭になります。 2号炭の荒目は家庭に配られます。細い… 続きを読む
思い出の記 採炭から選炭まで(前編 採炭)|Kawauchi Masami 石炭とズリが選炭機にくる前の、現場の話を書きます。 私は、掘進現場と採炭現場の機械も、修理していました。 炭鉱の事を、採炭現場から選炭機まで知ってる人は、少ないと思います。 思い出しながら書きます。 採炭現場 大夕張 採炭現場南大夕張 採炭現場 まずは、採炭現場から。 ドラムカッタ… 続きを読む
思い出の記 南部 南大夕張体育館 と大夕張健保会館|Kawauchi Masami 1989年~90年頃(平成元~2年) 三菱石炭鉱業株式会社南大夕張鉱業所 撮影 体育館内部 娘の空手の練習の様子 三菱大夕張炭鉱に少年工として勤務していた昭和46年頃、三菱大夕張鉱業学校生と少年工(土曜日昼から 授業が有りました)合同で、南大夕張の体育館に行った事が有ります。 南大夕張体育館… 続きを読む
思い出の記 昭和56年洪水と私 |Masami Kawauchi 1981年(昭和56年)8月の台風。 札幌の中沼にある実家も当時平家でしたが、豊平川が氾濫して床上浸水でした。 トイレも水洗では無かったので、それは大変でした。 あの洪水の後、新築した家は、基礎を高くしてます。 当時、私たちは南部青葉町の住宅に住んでいました。 私たち親子は、南部の体育館… 続きを読む
思い出の記 炭鉱の言伝え |Kawauchi Masami 嘘か本当かは分かりませんが、私の兄、次男が言っていたことです。 まず、 三菱の職員住宅は、後ろが山で、暴動が起きても責められ難いとか、 大夕張の街には、鉄道でしか行けず、道が無かったのは、昔、タコや朝鮮人が連れて来られて、逃げられない様にしていたとか、 戦争が終わった、終戦後、引揚者… 続きを読む
思い出の記 見つけた写真 No.5 |Kawauchi Masami 前回の『C1101』に続いて、家を片付けていて見つけた2枚の写真のうち、『No.5』の写真です。 『No。5』はよく見ましたね。 白黒写真に着色した画像 『No.5』(撮影場所不明)… 続きを読む
思い出の記 見つけた写真 C1101 |Kawauchi Masami 今日、片付け物してて写真を2枚見つけました。 その内の『C1101』の写真。 いつの頃か? 後ろに、三菱のラッセル車が見えます。 この汽車、見たこと有るような? 石炭の積む所が小さいので、印象に強く残っています。 番号の 『C1101』 覚えているような気がします。 大きく引き伸ばして有るか… 続きを読む
思い出の記 昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami 白黒写真に着色した画像 宝町3丁目の炭砿住宅。妻と姉。 向かって左で犬を抱いているのが妻で、赤ん坊を抱っこしているのが、妻の姉、そして近所のおじさんです。 妻は、北菱閉山で大夕張に来て、大夕張閉山で登川にいきました。昭和47年(1972年)ぐらいに大夕張に来て、75年には登川に行っています。… 続きを読む
思い出の記 煙草の話|Kawauchi Masami 大夕張の職人さんは殆どくわえタバコでしたね。 一つのファッションでした。 工場内は、煙草吸ってましたし、今、思い出しても、煙草を吸っていない男の人いませんでしたね。 禁煙の記憶有りません。 南大夕張は、進発所に電気コンロが置いて有って、煙草に火をつける人もいました。 でも殆どの人… 続きを読む
思い出の記 湯浅先生 エピソード|Kawauchi Masami 担任していた桜組の野球チームまで作った湯浅先生 面白い先生でした。『湯浅純治先生のこと』のところでも紹介しましたが、その他のことも思い出したので、書きたいと思います。 授業中、私には難題の算数を、黒板で解くと、 「カワズ、体育館見てこい」と、言われ、見て来て、「空いてる」と 伝えると、 ご褒… 続きを読む