回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

ラーメンと給料日の話|Kawauchi Masami 思い出の記

ラーメンと給料日の話|Kawauchi Masami

 当時のインスタントラーメン、『あけぼのラーメン』『よっちんラーメン』『ハイトップラーメン』などありましたが、一番人気あったラーメンは、『ちびっ子ラーメン』です。  当時、春日町の各家庭で、30コ入りのインスタントラーメンを、箱買いしてました。それで、各家にある、ラーメンを持ち寄った為、さまざまな種…
教室の掃除当番|高橋正朝 #7 続・大夕張つれづれ

教室の掃除当番|高橋正朝 #7

 義務教育の公立学校で、教室を生徒が掃除するというのは、日本は世界のなかでは例外のようである。  日本国内でも、私立小学校や私立中学校はどうなのかは知らない。  夕張市立の小中学校の1クラスの生徒は、我々は団塊世代だったので、どこの学校も50人ぐらいだったろう。低学年を除き、掃除当番はグループ分けさ…
交通信号機 |高橋正朝 #6 続・大夕張つれづれ

交通信号機 |高橋正朝 #6

 我々の子ども時代、大夕張には交通信号機がなかった。  交通信号機自体は、絵本、マンガ、テレビ、映画などにでてくるから知ってはいるのだが、実物を見たのは、夕鉄バスに乗り、見学旅行で初めて札幌に行ったときだった。  鹿島東小学校4年生のときだった。  古谷製菓と北海道新聞社を見学した。古谷製菓では、オ…
『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny 随想

『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny

 またまた当選して、今、うわさの「東京家族」の特別試写会へ行ってきました。  弟が生まれた昭和28年につくられた小津安二郎監督の「東京物語」の現代版です。  スカイツリーや、横浜の観覧車も登場します。故郷から遠く離れた東京で暮らす子供たちを老親が訪ねるお話。  ふるさとを離れて、それぞれの生活リズム…
川に落ちた話|Kawauchi Masami 思い出の記

川に落ちた話|Kawauchi Masami

 シューパロ川で遊んでいて、滑って転んでしまい、服が上から下まで、べしょ べしょに濡れました。  小学校低学年の頃です。  「母親に叱られる」と、途方に暮れていました。『どうしょう』と、思っていた時、目の前に、母の好きな ミツパが有ったのです。  すかさず、山菜の三つ葉を取り、母に「三つ葉を取ってい…
夕張奥のトムンチ・コタン|准 随想

夕張奥のトムンチ・コタン|准

「夕張の奥にトムンチ・コタンというところがあり、ここには性の悪い熊でも獺(かわうそ)でも貉(むじな)でも蜂でも、この世の中であらゆる悪いことをした者を集めて置くところがあると伝えられている(名寄市:北風磯吉老伝)。」     *  *  *  雨天と低温続きの大型連休でしたが、明日で終わります。  …
パチンコづくり|Kawauchi Masami 思い出の記

パチンコづくり|Kawauchi Masami

 当時、おもちゃのパチンコが、売っていました。  弾の所、ゴムの真ん中に、革見たいのが付いていて、小さい石っコロを飛ばしていました。  でも、ゴムが輪ゴムを切った様な貧弱なものでした。  子どもの頃、パチンコ も、自分達で作りました。   形は山という時の真ん中の長い 棒を下に向けた形。両方の山の字…
スイングバイとSF|高橋正朝 #5 続・大夕張つれづれ

スイングバイとSF|高橋正朝 #5

 私が住んでいた明石町番外地の自宅の斜め後ろに、小林順治さんが住んでいた。彼の2歳上に、和子さんがいた。  ある日、彼女がもういらないからと言って、旺文社だったか学習研究社だったか覚えていないが、学年雑誌を二十冊ほどいただいたことがあった。鹿島中学校の1年生のときだったように思う。  ご存知のように…
花火で鉄砲を撃った話|Kawauchi Masami 思い出の記

花火で鉄砲を撃った話|Kawauchi Masami

 花火の話ですが、昭和35年ごろ、すり花火とダイナマイトと言う爆発する花火が、有りました。すり花火はマッチ箱で、すって火をつけます。ダイナマイトは、道火線が付いていて、道火線にマッチで火をつける花火です。  すり花火は、マッチ箱のするところで、こすると火がつきます。そこに、缶詰の缶をかぶせると、電信…
鹿島東小学校すぐそばの住宅火事|高橋正朝 #4 続・大夕張つれづれ

鹿島東小学校すぐそばの住宅火事|高橋正朝 #4

 前回、#3で岳富町の商店街の火事のことを書きましたが、翌年の5月か6月のころ、鹿島東小学校すぐそばの住宅地で火事があった。東小学校の校門から出て、すぐそば、千年町駅へ向かう坂のところです。  この火事のときも、明石町から黒い煙が立ち昇るのが見えた。各家庭で夕食の準備をする時間帯だった。同級の男子生…
YS11の町にて思う|柳川 傑 随想

YS11の町にて思う|柳川 傑

 昭和37年(当時小5年)に、春日町から現在の愛知県三好町に家族そろって転居して来ました。  親父(故人)が、当時、大夕張炭鉱の労務の仕事をしていて、炭鉱離職者を引き連れ、農村地帯だった三好町が、工場誘致条例の第1号として誘致した、三菱の「YS11」プロペラ機の部品工場であった「三和金属」に転職して…
汽車と競走した話|Kawauchi Masami 思い出の記

汽車と競走した話|Kawauchi Masami

   昭和40年ごろ、東京に旅行に行って速い電車に慣れて、大夕張鉄道に乗ったとき、遅くて 遅くて、なんだこれっと思ったものでした。清水沢〜遠幌間が、特に、遅かったと記憶しています。    小学校5年生の時、清水沢〜大夕張まで、汽車と24インチの自転車で競走した事が有りました。  いい戦いでした。  …
語り継がれた話|佐々木広行 思い出ばなし

語り継がれた話|佐々木広行

 もう27年前の事ですが、通学で毎日大夕張、清水沢間を、今では名前も忘れましたが、SLで通っていた頃のことです。  当時、私は、夕張南高校へ行っておりまして、毎日SLを利用していた訳なのですが、有る日、登校の時だったか、下校の時だったかは忘れましたが、いつものように、SLに乗っていました。  座席が…
「痛快ブック」と岳富町商店街の火事|高橋正朝 #3 続・大夕張つれづれ

「痛快ブック」と岳富町商店街の火事|高橋正朝 #3

 私が鹿島東小学校3年生の春、明石町番外地の自宅の外で、寺田ヒロオのマンガ、「 背番号ゼロ 」を手にとっていた。 表紙に 「 新漫画党 」 と書かれ、黒丸の上から下に稲妻形のマークが入っている。 稲妻形と思ったのは、アルファベットの S の図案化だったのを後に知る。 つまり、「 新漫画党&…