続・大夕張つれづれ 木の摩擦熱で火を熾す試み | 高橋正朝 #24 前回#23で、鹿島東小学校時代、レンズの焦点で、紙に火をつける試みを書き込んだら、それに対する飯田さんのコメントだと、やはり大夕張の少年時代、同じことをやっていたんですね。 この、虫眼鏡のレンズの焦点で紙に火をつける試みは、他の少年たちもやっていました。 しかし、どういうわ けか、近所や… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 雪の結晶と雪印のロゴマーク |高橋正朝 #23 大夕張で生まれ育った人だけでなく、北海道生まれの人にとっては、雪印乳業のロゴマークには懐かしさを感じると思う。 北海道生まれの大企業だから、ということよりも、雪の結晶に懐かしさを感じるのだ。 北海道生まれの企業ではあるが、本社は東京四谷にあり、東京在住者は知っていることだが、夜間、中央線… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 吹雪のなかでの登校下校 |高橋正朝 #22 私が、鹿島東小学校の低学年だったころの大夕張の冬は、ずいぶんと寒かった。 私の年代の人は、皆、経験していたことで、『 ふるさと大夕張 』に書き込んだことの繰り返しになるが、頬骨に染み込むような寒さのときは、薄眼にし、眼を普通に開けようとすると、瞬間的にくっついていたまつ毛がパチッ、という感… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 村山貢 先生の色彩の授業 |高橋正朝 #21 前回、「 電光オズマ 」の稿で、コラージュのことに触れ、村山貢 先生のお名前を出しました。 それで、村山 先生の授業のことを書き始めたら、表題とは無関係な内容の文章が長くなってきたので、その部分は打ち切り、次回、即ち、ここで書くことにしました。 村山貢 先生を初めて見たのは、鹿島… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20 松本あきら が若いころ描いたマンガの主人公の少年少女は、眼に特徴があった。 少女マンガの主人公は可愛く描かれ、眼が大きく描かれて、内容もポエムっぽかった。 少年マンガは、SF ものや、戦争ものがわりと多かった。 鹿島中学校2年生のときに、明石町に住んでいた誰かから、少年マンガ雑誌『 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 「ヒマラヤ天兵」と「めくらのお市物語」 |高橋正朝 #19 鹿島東小学校5年生のとき、「 おもしろブック 」に「 ヒマラヤ天兵 」というマンガが連載されていた。 作者は「 棚下照生 」。 タナカ•テルオ と読ませる漢字の名前としては大変珍しい。 テレビドラマにもなったらしいが、大夕張で視聴できた番組だったかどうかは知らない。 このマンガが連載中… 続きを読む
続・大夕張つれづれ サイレン |高橋正朝 #18 私が物心ついた時分から、明石町では、定刻を知らせるサイレンが鳴っていた。もしかすると、戦前からそうだったかもしれない。 かなり大きな音だった。明石町の全域に知らせるためだったから、それなりの音量が必要なのは、子ども心にも理解できた。 鹿島東小学校に通うようになって、幼児のときより活動範囲が少し… 続きを読む
続・大夕張つれづれ CMソング 楠トシエ | 高橋正朝 #17 続•大夕張つれづれ#14で、『 三つの歌 』の述懐から、天地総子の『 パンシロン 』の CM ソングに言及しましたが、じつは、この『 パンシロン 』の CM ソングを初めて聴いたとき、てっきり、楠トシエ が歌っているものと思っていました。 当時、CM ソングの歌手と言えば、楠トシエ が圧倒的に有… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 大連でのテレビで見た白金の 森本 さん|高橋正朝 #16 私が、中国の大連にいた当時、3年間はホテルに住んでいた。 外交官や特例を除き、当時の中国では、たとえ、『 労働許可証 』を所持していたとしても、国籍を問わず、外国人の宿泊は、当局が認めたホテルでなければいけない時代だった。 我々が宿泊していたそのホテルは大型で、NHK 衛星放送を時々見ることが… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 『一丁目一番地』と『ホームラン教室』|高橋正朝 #15 この NHK のラジオ番組、『 一丁目一番地 』もよく聴いていた。 黒柳徹子 という名前は、この番組で知った。台本があるとはいえ、子ども心に、「 口早で、よくしゃべる女だなぁ 」という印象をもった。 前回書き込んだ、『 三つの歌 』は、ネットの『 Wikipedia 』にその項目があるのだが、… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 三つの歌 | 高橋正朝 #14 『 三つの歌です 〜君もぼくも〜あなたも私もほがらかに〜忘れた歌なら〜思い出しましょ〜みんな 〜みごとに歌いましょ 』 私の年代なら、みんな知っている NHK ラジオ第1放送の歌番組です。 この歌番組もよく聴いていた。と、いうか、ラジオ放送では、NHKが最も電波が強かったので、大夕張では、必然… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 無犯罪証明書|高橋正朝 #13 『 無犯罪証明書 』そのものは、大夕張にはなんも( 懐かしい北海道弁 )関係ない。 『 まぼろし探偵 』のラジオ番組を、大夕張での子ども時代に聴き、『 まぼろし探偵 』の正体は誰かで、私が言った「 指紋を検べればいい 」という話から、私の指紋は警視庁に保管されているということに話が流れ、その経緯… 続きを読む
続・大夕張つれづれ まぼろし探偵と指紋|高橋正朝 #12 私がマンガ雑誌を毎月買うようになって、最初の2年ぐらいは、「 少年画報 」だった。 その当時、マンガ雑誌としては最も売れていたと思われる。 『 赤胴鈴之助 』が人気沸騰し、『 ビリーパック 』があり、手塚治虫 の『 スーパー太平記 』、それに、桑田次郎 の『まぼろし探偵』が加わった。… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ビリーパック、バットマン、ルコック|高橋正朝 #11 私が鹿島東小学校3年生の初夏のころ、夜の7時ぐらいのとき、新聞のラジオ番組表など読めないので、どの番組を聴くか、という目的もなしに、ダイヤルをゆっくり回していたら、突然、 『 ビリーパック•ビリーパック•ビリーパック•••••• 』と流れてきた。 そこでダイヤルを微調整して止めると、更… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 赤胴鈴之助|高橋正朝 #10 『 《 さゆり、吉永小百合。 (•••数人の名前•••) 。 語り手、山東昭子 》 』 私の年代にはすぐわかる。 これは、 『 《 う〜む、チョコザイな小僧め、名を、名を名乗れ 》《 赤胴鈴之助だ 》 』 というラジオ番組です。 スポンサーの CM ソングは、『 ニッスイ、ニッスイ、… 続きを読む
続・大夕張つれづれ アパートちゃん |高橋正朝 #9 私が、鹿島東小学校の1年生のときに、我が家にラジオがあったかどうか定かでない。 当時としては、簡単に購入できる品物ではない。2年生になって夏休みが始まるころには、ラジオは茶箪笥の上に鎮座していた。 NHK 第1放送と第2放送は、わりとよく聴こえたのだが、他の民間放送局の番組は、日によっては雑音… 続きを読む
続・大夕張つれづれ マンガ雑誌と上げ底 |高橋正朝 #8 私が鹿島東小学校1年生のときは、我が家では、まだ定期的にマンガ雑誌は買ってもらえなかった。 生活費の節約のためだったろうと思う。2年生だったときも同様だ。それでも、親の気まぐれで、学年雑誌を2、3回ぐらいは買ってくれた記憶がある。 東小学校3年生になったら、毎月マンガ雑誌を買ってくれるようにな… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 教室の掃除当番|高橋正朝 #7 義務教育の公立学校で、教室を生徒が掃除するというのは、日本は世界のなかでは例外のようである。 日本国内でも、私立小学校や私立中学校はどうなのかは知らない。 夕張市立の小中学校の1クラスの生徒は、我々は団塊世代だったので、どこの学校も50人ぐらいだったろう。低学年を除き、掃除当番はグループ分けさ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 交通信号機 |高橋正朝 #6 我々の子ども時代、大夕張には交通信号機がなかった。 交通信号機自体は、絵本、マンガ、テレビ、映画などにでてくるから知ってはいるのだが、実物を見たのは、夕鉄バスに乗り、見学旅行で初めて札幌に行ったときだった。 鹿島東小学校4年生のときだった。 古谷製菓と北海道新聞社を見学した。古谷製菓では、オ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ スイングバイとSF|高橋正朝 #5 私が住んでいた明石町番外地の自宅の斜め後ろに、小林順治さんが住んでいた。彼の2歳上に、和子さんがいた。 ある日、彼女がもういらないからと言って、旺文社だったか学習研究社だったか覚えていないが、学年雑誌を二十冊ほどいただいたことがあった。鹿島中学校の1年生のときだったように思う。 ご存知のように… 続きを読む