随想

いまでも今日のことのように思い出せる。あの日、あの時の出来事。 今日につながる昔のこと・・・。

最後の大晦日|斎藤敏幸 随想

最後の大晦日|斎藤敏幸

   大夕張で過ごした最後の大晦日を振り返ってみました。     正確には、大晦日の前日の事なのですが。       1972年(昭和47年)12月30日。      この日、夕張東高第8期生(同年3月卒業)の同期会を、確か千歳町の婦人会館で開催しました。      もう記憶は定かではありませんが、…
寒くなると、聴こえる | タカママ 随想

寒くなると、聴こえる | タカママ

   夕飯の支度をしながらラジオを聴いていると、懐かしい言葉が・・・。  「石狩・空知・後志地方の天気は・・・。」 「道道○○号線は、雪で通行止め・・・。」   我が家の古いアナログラジオは、この時期北海道の電波をキャッチしてくれます。   思わず手を止めて聞き入ってしまいます。    遥か遠くの雪…
母と大夕張 |あずき 随想

母と大夕張 |あずき

 私の母は親が営林署勤務であったこともあり、小学校時代は道内あちこちを転々としていました。  母は昭和42年ごろ、1年間だけ大夕張に住んでいたそうです。   錦町に営林署があったはずです。      母はその裏手の線路端にある職員住宅に住んでいたそうです。    そのころはまだ大夕張にも1万人以上の…
千年町の思い出 | 菅井宏史 随想

千年町の思い出 | 菅井宏史

    私にとって千年町は長らく住んでいた富士見町に次いで思い出深い町です。     といいますのも、実はわずか数カ月の短い間でしたが、何を隠そう千年町の住人であったからです。千年町界隈をよく自転車で走り回ったものです。(ああ、なんて懐かしい写真!)    『散歩道』の千年町住宅地図でパチンコ店と消…
1964 東京オリンピック | ziny 随想

1964 東京オリンピック | ziny

昨日、今日と台風18号はすごい雨と風の勢いでした。  昭和37年の夏の記憶ですが大夕張にも台風が来襲し、シューパロ川の磯次郎のあたりには、吹き飛ばされた木が、ざぶ、ざぶと流れてきたのを思い出しました。  我が家の鶏小屋の屋根も吹き飛ばされました。  東北、北海道の皆さま・・お気をつけ下さい。   2…
3色トリノ | ヤス 随想

3色トリノ | ヤス

街を買い物していたら かなり懐かしいオヤツに再会しましたよ。   自分が中学時代 鹿島 宝町に住んでいた頃   確か昭和53年位〜千年町町にあった、所商店でしたか、よく駄菓子やアイスキャンディーを買いに行きました。     少しお小遣いに余裕があれば、同級生の清水君の実家、志村菓子舗?でしたか、和菓…
ラジオ体操 全国中継 |石原賢治 随想

ラジオ体操 全国中継 |石原賢治

 まだまだ暑い日が続きます。  台風一過でほんのり秋の気配でもと思いますが、もう少しがまんでしょうかね?  北海道はもう2学期も始っている様ですが、私の子供達は、まだ夏休み中です。    まだ、子供がちびの頃は、朝6時30分のラジオ体操に参加すべく、半分眠った状態でも無理やり起こし、公園広場に連れて…
山麓の谷間に花咲かず-大夕張閉山初期のあゆみ 随想

山麓の谷間に花咲かず-大夕張閉山初期のあゆみ

   夕輝文敏さんが、小説『タイムカプセル』で、閉山後の大夕張の明るい未来を描いてみせた。 しかし、実際は上手くいかなかった。    閉山という地域崩壊の危機状況に直面し、現実に対応しながらその後の大夕張をよりよい方向に持って行こうとして努力した人々がいた。    ダムによる故郷喪失という状況の中で…
小学校の通学区域変更 | 久々湊真一 随想

小学校の通学区域変更 | 久々湊真一

   私は昭和29年(1954年)に鹿島小学校に入学しました。  しかしながら 昭和30年末に学区の変更があって、小学校2年の終わりに強制転校となり、鹿島東小を卒業しました。   通学区域変更の内容は、泉町の川(宝の沢)を境に、千年町駅側は東小・大夕張駅側は鹿島小の区分けでした。   私なんぞは、 …
父の描いた『大夕張10景』|野田卓見 随想

父の描いた『大夕張10景』|野田卓見

『岳麓の里(大夕張10景)』におやじの(淑雄)の絵が載っています。 父は現在83才で札幌市北区屯田にいます。 足が弱って来て外に出る回数もめっきり減りましたが、まだ盛んに絵を描いています。 文章を書いている佐藤貞雄さんも、私と(昭和25年生まれ)同級の道子ちゃんのお父さんです。 伊藤清治さんは父に聞…
私の恩人3  |  久々湊真一 随想

私の恩人3 | 久々湊真一

 宝町一丁目に、新聞記者をされていた(と記憶する)佐藤貞雄さんがおられました。  父の知り合いでもあり、何度かお宅にお邪魔をしました。   私がここで見た(驚いた)世界は、今振り返ると、大変重要な出会いでした。  それは、新聞のスクラップブックでした。  切抜かれた新聞記事は、各々コメントが附されて…
ミミズの謎 | 内川准一 随想

ミミズの謎 | 内川准一

 自分のことを言うと、物好きな人間で、興味がわくといろんな所に出向きます。  同時に、わからないことにはいつまでも拘泥するナンタラ質の面があるようです。   そんな私が、無農薬農作物を買いに、かみさんを連れて北広島まで出向きました。   そこで、虫食いの穴だらけのキャベツを発見しましたが、さすがにこ…
校長先生の名刺 |みほ 随想

校長先生の名刺 |みほ

 高校を卒業し上京する前に、岩佐佐太吉校長先生にお電話したところ、 「お会いしましょう」 と、おっしゃってくださり、ランチをご馳走になりました。    校長先生は、六年生の時に理科を教えてくださり、その当時のことを思い出して、「とても楽しかった」と懐かしがられておられました。    実験の授業がとて…
私の恩人2 |久々湊真一 随想

私の恩人2 |久々湊真一

 三菱大夕張病院の鈴木昭先生を知ったのは、私が鹿島中3年の時でした。  この時に、病弱であった母が急に体調を崩し、入院かつ危篤状態になったのです。   当時内科部長であった鈴木昭先生が、 「この注射で大丈夫でしょう」 と言われて処置。  しばらく時間が経過した後に、母の顔に赤みが戻ってきました。  …