夢の街

かつて石炭で繁栄した街の昔と今の記憶をもとめ、追いかけた記録。

2014年 大夕張の春|秋月 涼 訪問記

2014年 大夕張の春|秋月 涼

平成7年(2014年)に大夕張を訪問しました。 大型連休に大夕張地区を訪問しました。 現地では「じゃじゃぽっぽ」の長谷川潤一さんに大変お世話になりました。偶然お会いしたのですが、車に便乗させて貰い、想い出の場所を色々と案内して頂きました。心より感謝いたします。ありがとうございました。 またこちらのホ…
SL冬の湿原号 ’01 |飯田雅人 随想

SL冬の湿原号 ’01 |飯田雅人

 2001年1月。釧路に行きました。SL『冬の湿原号』に乗ってきました。  午前11:08 釧路駅発。  釧路湿原の中に丹頂鶴を見ながら、蒸気機関車C11にひかれた観光列車が標茶へと走ります。  それは遠い記憶を呼び起こす、懐かしさに出会う旅でした。    発車とともに、「ガタン」と一揺れ。  最初…
食憶(その6 三尺鯉)|長谷川潤一 食憶

食憶(その6 三尺鯉)|長谷川潤一

 川の大物話を食憶にからめましてひとつ・・。  緑町にいた親戚のおじさんがなかなかの釣り名人でして、五月のダム増水の時期に、三尺モノの鯉を釣ってきました。  一メートル以上の大物を釣ると、シューパロ湖の主みたいな紹介で、写真付きで新聞に載ったものですね。  さっそく長屋に野次馬根性で見に行くと、大き…
「奥鹿島分校の歌」の作詩者|浅野岳男 随想

「奥鹿島分校の歌」の作詩者|浅野岳男

 「奥鹿島分校の歌」の作詩者浅野明信氏について。  奥鹿島分校の歌、作詞は次兄浅野明信です。 この度、曲に耳を傾けながら、在り日しの次兄に想いを巡らし、作詞に目を通しました。   奥鹿島分校の歌 奥鹿島分校の歌 (浅野明信 作) (一)  まばゆく 朝日を あびている  夕張岳の 山すそで 元気に育…
氷の下面の曲線模様 | 高橋正朝 #26 続・大夕張つれづれ

氷の下面の曲線模様 | 高橋正朝 #26

 我々団塊の世代の少年時代、晩秋のころ、すなわち、10月になると、日中、道路に溜まっていた水が夜の間に氷になり、朝、その氷をバリバリと音をたてて踏みつけながら、鹿島東小学校に登校した。    氷ができる、とはいっても、午後には融けてしまい、翌朝になったら、また氷ができている ••••••。    そ…
小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木 随想

小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木

 小生、大夕張の思い出のカリンズ・グズベリ、グミ等の果樹を、小さな庭に植えて、当時を懐かしんでおります。  霜が降りたら「コクワの実」が丁度、美味しく、良く近所の悪ガキと一緒に、便所場球場の山に、収穫に行きました。  他に、山葡萄、胡桃等も取りましたね。  内緒ですが(時効?)、弥生町の端の坂道の下…
食憶 (番外編「CM」)|長谷川潤一 食憶

食憶 (番外編「CM」)|長谷川潤一

 CMといえば、大夕張鉄道の車内でロケをした、三菱グループのCMを思い出します。  HBCでやっていた、朝のワイド番組でながしていたもので、外人さんが客車に乗ってきて、他のお客さんと何か話しをしようとしたところ、みんな驚きとまどって顔をそむけるように避けてしまう。  外人さんは、気持ちも言葉も通じず…
夕張市の鹿島とは|あさのたけお 随想

夕張市の鹿島とは|あさのたけお

 12月24日21時に、関東地方のテレビ局「テレビ朝日」で、映画「北の零年」が放映されるようです。  物語は、明治維新に生きた先人の、大切な歴史上の物語です。  しかし、大夕張住人にとって懐かしい場面が、蘇ることでしょう。途中に夕張岳が映像画面に出てきます。  葬式場面は、冬の凍ったシューパロ湖にて…
乙女の姿・・・ |ziny 思い出ばなし

乙女の姿・・・ |ziny

 この寒い時期は家の中で遊ぶことが多く、昔、お正月はカルタ遊びで過ごした方も多いと思います。  我が家では、よく百人一首をしました。  また、町内会対抗試合にも、出さされ、詰所の冷たい畳の上で戦いをした記憶があります。  1チーム3人で、攻め(5,6枚)、中堅(15枚くらい)、守り(30枚くらい)で…
百人一首 |石原賢治 思い出ばなし

百人一首 |石原賢治

 定番の『全国共通かるた』ですが、九州出身のわが家にあったものは、読み札に、公家だの、姫様だの、坊主などの作者の絵がかかれていまして、『坊主めくり』などという、お坊さんには大変失礼な遊びをしていました。  裏にした読み札を、順番に1枚ずつめくり、坊さんを引くとそれまで貯めた札を出し、お姫様が出るとそ…
私の断片的記憶|たいこのもりお 思い出ばなし

私の断片的記憶|たいこのもりお

 時々、大夕張の事を思い出します。  はっきりとした事や、断片的な事や、曖昧だったりですが、投稿させていただきます。    昭和30年代の半ば、鹿島小学校のグランドにサーカスが来て、バイクの曲乗りをした。  冬はグランドに雪像がたくさんあった。   緑町の2丁目に、八木さんという床屋さんがあって、そ…
むろ( 室 )|高橋正朝 #25 続・大夕張つれづれ

むろ( 室 )|高橋正朝 #25

 我々の年代が、大夕張に住んでいた少年時代は、厳寒期になると野菜が不足した。  ちょうど、今ごろの時期てすネ。 しかし、栄養失調の話は聞いたことはなかった。  実際は、栄養失調に陥った人はいたかもしれないが、子どもだったがため、単に、社会のできごとを知らずに過ごしたのかもしれないが ••••••。 …
牛乳配達のアルバイト|花田勝則 思い出ばなし

牛乳配達のアルバイト|花田勝則

 堀田牛乳では、小学生の頃、何年か牛乳配達のアルバイトをしていました。  夏場はリヤカーで、あるいは自転車で、冬場はそりに乗せて、配達してました。  冬場は、明け方3時・4時の配達で、牛乳が凍らない内に配達しなければなりません。  一度に沢山積んで出発出来ないので、何度か堀田牛乳店に戻っては、又配達…
食憶(その5 木箱の中身)|長谷川潤一 食憶

食憶(その5 木箱の中身)|長谷川潤一

 大夕張の暮れは、すっぽりと雪の冬でした。  この時期ならではな物を、ちょっこといきたいと思います。  まず「リンゴ」。  幌掛けのチェーンを撒いた小型トラックに拡声器がちょこんと載っかっていて、「青森から来たさ」という眼鏡のおじさんが、お国訛りで売って歩いてました。  あの長方形の板作りのリンゴ箱…