随想 《思えば遠くへ来たもんだ》 |美佐子 37年前の今日、東京に出て来ました。 大夕張 千年町の自宅前から、従兄弟の車で札幌まで送ってもらい、札幌の親戚の家に挨拶に行き、札幌から函館まで列車に乗りました。確か「ゆうづる」という列車だったと思います。 札幌駅には、おばあちゃん、叔母達、従姉妹が見送りに来てくれました。 叔母が「もうし… 続きを読む
楽しかった日々 竹馬遊び 代々木町 昭和37年 昭和37年頃、代々木町の一角での竹馬遊び。庭には、漬物の準備でしょうか、漬物樽と漬物石3個が、積まれた白菜らしき物のそばに置いてあります。 竹馬遊び 【宮内文人】 2020年8月30日 竹馬に乗っているところです。 近くにいる男の子はガキ大将的な存在の・・・名前はちょっと忘れましたが、よく一緒… 続きを読む
思い出の街角 雨の日の栄町アパート 昭和52年8月。栄町1丁目20-13。 山間のにぎやかだった頃の街に住んでいても、雨がふったこんな日は、手がとどきそうなくらいに低く雲がかかり、なんとなくもの憂げで悲しく、陰気な気分にさせられる・・・。この写真を見て、子どもの頃に感じた気分、ふと思いだしました。… 続きを読む
楽しかった日々 父と私 昭和29年(1954年) 父と私 【Kawauchi Masami】(2020年11月11日) 場所はわかりませんが、この写真は、私が0歳だと思います。 父は32歳で、大夕張の社宅(長屋)が空いてなくて、千年町に独身寮が有ったそうです。 私が2歳の時、母親と兄弟は、南清水沢の実家から、大夕張… 続きを読む
思い出ばなし 戦後まもない頃の母の鉄道の思い出|飯田雅人 私の母から聞いた話です。 『山史』(三菱大夕張鉄道58年史)の中に、「雪害事故」と題して次のような記述があります。 昭和21年3月14日、融雪期にもかゝわらず夕刻より重量ある湿雪が降りはじめ、15日に至るも止まず、蒸気機関車3両をもって運転する。 ラッセル車も及ばず、線路両側は、数メートルに… 続きを読む
随想 心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎 彼が、南部に移り住んでから一年になろうとした頃、南部のヤマ元で事件が起こった。 昭和六十年六月五日午後三時四十分頃。三菱南大夕張砿南一卸七方付近で起こったガス突出事故が発端であった。そのガス突出事故に坑内火災が加わった。 炭砿の坑道は地下に網の目の如く掘られている。そして、坑道一本一本に名称が… 続きを読む
思い出の街角 池田屋食堂 昭和25年 昭和25年。栄町。池田屋食堂開店祝いの記念写真。店主の池田準太さんと八重さんを中心に従業員の人たち。 開店祝いのチンドン屋さんの姿も。商店の開店や大売り出しの時には、鐘や太鼓が、威勢良く鳴り響き、よく見かけたものです。 白黒写真に着色した画像 池田屋食堂と、映画『塩狩峠』のロケの合間 石原 賢治… 続きを読む
続・大夕張つれづれ まぼろし探偵と指紋|高橋正朝 #12 私がマンガ雑誌を毎月買うようになって、最初の2年ぐらいは、「 少年画報 」だった。 その当時、マンガ雑誌としては最も売れていたと思われる。 『 赤胴鈴之助 』が人気沸騰し、『 ビリーパック 』があり、手塚治虫 の『 スーパー太平記 』、それに、桑田次郎 の『まぼろし探偵』が加わった。… 続きを読む
思い出の街角 スキー場から富士見町 昭和40年 スキー場から富士見町・砿業所方面を望む。 春も近い頃のスキー練習風景。赤いセーターを着た鹿島小学校・中学校のスキー部の人達の顔が浮かびます。… 続きを読む
思い出の街角 スキー場のメッセージ 大夕張のスキー場(富士見ヶ丘スキー場)には、ロープトゥと夜間でもスキーができる照明灯が設置されていました。平成10年(1998年)頃のスキー場に、注意事項がかかれた板。 静かに 大切な『こころ』を 今の私たちにも 語りかけています。 https://ooyubari.com/2020/01/30… 続きを読む