思い出の街角 「湖畔」を行く三菱バス 昭和39年、湖畔亭の前 『湖畔』という停留所がありました。三菱バスは,昭和40年から『大夕張-札幌』間の特急バスを走らせましたが,当時,その便も停車していました。(ほとんど乗降りする人は見かけませんでしたが)写真のバスは自分の記憶では,山内線を走っていた印象が強いバスですが,『急行大夕張駅前』と方向… 続きを読む
音の風景 出発進行!-大夕張駅構内 昭和48年春- 昭和48年春 閉山の不安にかき立てられる大夕張。 大夕張鉄道、9600形 №4 の録音データです。当時、鹿島中学校3年生なったばかりの長谷川潤一少年が、級友のお兄さんの買ってもらったばかりのラジカセを、なんとか借り受けて、その友人とともに録音したものです。 大夕張駅構内に進入してきた機関車を待ち受け… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ 学 び ■高橋正朝 #13 東小学校3年生の冬、クラスの授業でアイスキャンデーをつくったことがありました。 あの当時、母親がジャガイモをゆでたり、タクアンをつくったりするときには、サッカリンを入れていたのを覚えています。 そのサッカリンのガラス容器に砂糖水を入れて外に置いてつくったわけですが、朝から昼までの間の外気では、… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■冬の寒さ■|高橋正朝 #12 生れ故郷である子供のころの大夕張の真冬の気温は、おそらくマイナス10度ぐらいは普通だったでしょう。 風呂屋から家に帰る時、濡れた手ぬぐいの端を持ってグルグル回しているうち少しずつ固くなり、近所の友達とその固くなった手ぬぐいでチャンバラをやりながら家に帰っていました。 目を薄目にしていると、… 続きを読む
陳列棚 夕張東高等学校ペナント3種 明石町の高台にあった夕張東高等学校のペナント3種。この他、デザインの違う数種類のペナントが発行されたようです。 https://ooyubari.com/2020/02/17/higasikopenanto/ https://ooyubari.com/2020/04/11/yubarihigasi0… 続きを読む
炭鉱とともに 昭和38年頃 進発所 昭和38、9年頃 『進発所』、以前は『更衣所』といっていたようです。 昭和40年以降、自家用車での通勤が増え、閉山前には、この駐車場いっぱいに自家用車がとまるようになっていたということです。… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ハチ公前で出会った若者■|高橋正朝 #11 今から三十二、三年ぐらい前の4月か5月ごろの話です。 東京の渋谷駅前のハチ公のところで友人と待ち合わせをしていました。 約束の時刻になっても相手があらわれず、 友人がくるのを、 縁石に腰かけながら人通りに目をやっているとき、私より5cmぐらい背の高い若い男が寄ってきました。 「 ライターあ… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■再・暗夜行路■|高橋正朝 #10 2008年5月18日に、 このホームページに書き込みましたが、 昨日、志賀直哉の「暗夜行路」を再読しました。 結論からいうと、これが何故名作なのか、今回も理解できない。 志賀直哉の別な小説、例えば、「赤西蠣太」や「清兵衛と瓢箪」などは起承転結はハッキリしていて面白く読めますが、「暗夜行路」は暗い… 続きを読む
思い出貼 子ども神輿 せいぞろい 昭和33年 春日町 はっぴに豆絞り姿の男子に,着物姿の女子。町内の子供たちが勢ぞろいです。子供おみこしと踊りが賑やかに町中に声をひびかせます。 山車をひくお馬さんも一緒に記念撮影です。 春日町詰所前の記念写真。… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■長子としての沽券■高橋正朝 #9 私が鹿島東小学校5年生のとき、小学校3年生だったすぐ下の妹に、夏休みのワークブックの国語で、漢字の読み方を訊かれました。 「 意見 」を「 イミ 」と教えました。 夏休みが終わり、8月下旬か9月の初めごろ、「お兄ちゃん、ウソ教えた」と言われてしまいました。 鹿島中学3年生の冬休み、ワークブック… 続きを読む
陳列棚 鹿島中学校 襟章 昭和45年前後 使用されていた鹿島中学校の 襟章 「学級委員」襟章【縦】1.1cm ×【横】2.2cm 「1年C組」襟章【縦】1.1cm ×【横】1.9cm 鹿島中学校の襟章です。男子は学生服の襟に,女子は制服の胸に着用していました。 委員会の襟章は、委員会ごとに、生活委員会なら「生活」… 続きを読む