消える街からの伝言2 消える街からの伝言2■第二楽章■『エレキがやってきた』 ベンチャーズ|久々湊眞一 大夕張が最盛期だった「1960年代」街には様々な歌が溢れていました。当時の音楽をイメージしてみましょう。あなたは何を思い出すでしょうか。 ■第二楽章■『エレキがやってきた』 ベンチャーズ(演奏時間1分54秒) みんながコピーした、バンドの原点。夕張東高校文化祭の定番でしたね。学校祭… 続きを読む
消える街からの伝言2 消える街からの伝言2■第一楽章 ■『消える街のテーマ』 フォークソング|久々湊眞一 大夕張が最盛期だった「1960年代」街には様々な歌が溢れていました。当時の音楽をイメージしてみましょう。あなたは何を思い出しますか。 ■第一楽章 ■『消える街のテーマ』 フォークソング(演奏時間 3分39秒) 大夕張のイメージをフォーク風流行歌で表現。懐かしく、優しく、哀しい。 &nb… 続きを読む
消える街からの伝言 消える町からの伝言■第五楽章■木もれ日(鹿島中跡)| 久々湊眞一 何も無くなった鹿島小グラウンドでは、風のつぶやきが聞こえた。笹藪に埋もれたシューパロ湖の淵では、鎮魂曲が流れた。私の原点、大夕張が消える。嗚呼。 ■第五楽章■ 木もれ日(鹿島中跡)(演奏時間1分56秒) 林から洩れる夕暮光の中でフォークダンスのメロディを思い出した。。。 … 続きを読む
思い出貼 八百五十の思い出 昭和30年、八百五十のゲレンデ。 八百五十の思い出 【斎藤敏幸】 (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十スキー遠足 AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく… 続きを読む
随想 惜別の町 | 小倉芳子 「大夕張にお別れをしに行って来たの」と突然友人からの電話。 夜になっても変わらない暑さに、だらりとしていた全身の神経が一瞬引きしまり、私も行きたい!と思 わず心の中で叫んだ。 九ヶ月の長男を抱いて私たちが彼の地へ足を踏み入れたのは昭和29年8月だっ た。 東北本線、青函連絡船、函館本線、室蘭… 続きを読む
交通関係 夕張バス | 大夕張線開通記念乗車券 昭和37年10月に大夕張と南部との間の道路が完成し清水沢-大夕張の間が陸路でつながり、三菱バスの路線と共に夕張バスが夕張-大夕張間の路線を開設。その時の開通記念乗車券。乗車券は使用済み。三弦橋を背景に水上スキーが走る図柄は当時目にしたなじみのもの。… 続きを読む
思い出の街角 八百五十からの遠望 2003年3月。大夕張神社の裏から尾根伝いにここまでくると,幅の広い斜面が開けた。このあたりはかつてヒュッテがあった。左に芦別岳,右に夕張岳,さらに右手遠くには日高の山並みが見えた。… 続きを読む
思い出の街角 八百五十ヒュッテ 昭和36年 八百五十頂上直下の緩やかな傾斜地にあったヒュッテ。地元民によく利用された。 八百五十ヒュッテ 八百五十登山 【道端政俊さん】 昭和31年32年33年(小学4.5.6)と続けて田中豊一先生や友人と冬登山したことを懐かしく、たまらなく郷愁をおぼえます。 33年頃には、学童のみの… 続きを読む
訪問記 2001年 厳寒の大夕張 |飯田雅人 2001年1月15日 【青い空に神々しく聳え立つ】 (青い空に神々しく) 1月の大夕張からみる夕張岳は,白く輝いていた。 麓からみる夕張岳は純白といってよいほど,真っ青な空のカーテンを背に白さが際立っていた。 冬に見る夕張岳はその昔アイヌの人たちもおそれ,「魔神をよせつけぬ山」とされたのもわかるよう… 続きを読む
本棚 白 夜 Ⅲ青芝の章|渡辺 淳一 【書 名】 『白 夜』(全4巻) 【著 者】 渡辺 淳一 【本の紹介】昭和34.5年頃作家としてデビューする前の渡辺淳一が三菱大夕張炭鉱病院に研修医として勤務していました。比較的のんびりと過ごしたそんな時期の看護婦たちとの交流を中心にえがかれています。著者の自伝的5部作全5巻のうち,第3巻『青芝… 続きを読む