思い出の街角 栄町浴場前 栄町2丁目と3丁目の間の通り。 『リハツパーマ』の位置から、『右向け右』して数メートル移動した視点。 道路の先に児童会館と荒川商店の建物が見えている。 この頃の写真にしばしば映り込んでいる大浦貞助氏の看板・・・・。 氏は、大夕張炭労の書記長を務め、昭和46年(1971年)の北海道議会議員… 続きを読む
訪問記 1999年の同期会 | 中島早苗 私は現在、栃木県真岡市に住んでいます。 鹿島中学校第26期卒業生です。 飯田さんの二期年下で栄町に住んでいました。(旧姓鈴木です) 1999年、7月18~19日に、夕張の『ふれあい』で一晩中かけての同期会に参加してきました。 更谷正博先生、藤田宗義先生、斉藤宏先生、山村金太郎先生、高田… 続きを読む
思い出の街角 リハツパーマ この写真は、閉山後のものと思われる。 昭和49年頃だろう。 建物と一体化した高さのある壁面に、ひときわ大きな文字で描かれた『リハツ パーマ』の文字。 炭砿住宅が建ち並ぶ中、非常に目立っていた理髪店。 昭和32年のこのあたりの様子は『栄町2丁目17番』で見ることができるが、栄町浴場のすぐ東側にあった。… 続きを読む
随想 MY HOME TOWN | J 最近、時折聴く曲に、福山雅治さんの「18(エイティーン)」があります。 「MY HOME TOWN」の曲を、いつか歌いたいと思っていながら、若い時期のこれまでは歌えなかった曲とのことです。 聴くたびに、若いときの思い出と、ほろ苦さと、ふるさと大夕張が、思い出されます。 宣伝ではありませ… 続きを読む
楽しかった日々 おんぶ おんぶ紐で背負われている私は、昭和31年の3月生まれだから、その年の秋ころか。母は、26才の年。 先日、高橋正朝さんの『続大夕張つれづれ#60』の『融けかかったアイスキャンデー』を読んで、子どもをおんぶって遊びにくるオバさんの姿を想像していた。 最近は近くのスーパーに買い物に妻のお供で出か… 続きを読む
随想 大夕張を訪ねて|森雄司 三重県生まれで、三重県育ちの僕が、大夕張を訪ねたのは、9月中旬で偶然の出来事でした。 僕と妻は、「幸せの黄色いハンカチ」のファンで、そのロケ地を訪ねた後、富良野に向かい国道452号線を走っていました。 除雪車のような機関車が置いてある所を少し走ると、人気の無い町があり、カーナビはそこが鹿島であ… 続きを読む
映像 三菱大夕張炭砿映像と社歌 三菱大夕張炭砿当時の映像。 1998年頃、よく『ダム湖に沈む街大夕張』的な映像で当時の8ミリフィルムの映像が流れていた。 これもそのうちの一つかと思うが、いつか、それらの映像を一つにまとめて見たいものだと思う。 YOUTUBEチャンネルのarchiveさんは、元大夕張の住民と思われるが詳しくはわから… 続きを読む
随想 八百五十の歌詞など | 早坂治敏 前回の投稿から6ヶ月ぶりに投稿します。 この間、転勤やらで、ご無沙汰しました。 現在は富山に在住です。 転勤してから、立山連峰の山々に登っております。 浄土山、雄山、大汝山、真砂岳、別山、剣岳等々です。 夕張岳には昭和37年に登っています。 同じく八百五十にも昭和37年の… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校 写生 昭和38年頃の鹿島小学校の校外での学習風景。 右下の家並みは、富士見町。 啓心寮の建物から倶楽部の庭がある。その前の住宅から、4丁目~5丁目が写り、高い煙突が立つ砿業所の建物、工場群までが見えている。 遠くの山には、まだ白い雪が残り、5月くらいのころだろうか。丘の子どもたちのには、まだ冷たい… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 融けかかったアイスキャンデー |高橋正朝 #60 例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。 昭和43年鹿島東小学校周辺住宅地図 NAGAMINE KAZUTOSHI さんが、以前、facebook に書き込んでいましたが、私の弟と同級生だったようです。 弟は正臣といい、4歳下で、札幌に住んでいます。 … 続きを読む
思い出の街角 妙法寺(日蓮宗) 沿 革 【所在地】 夕張市鹿島一番地千年町 【創立年月日】 昭和14年7月14日 【寺号公称】 昭和27年4月12日 【本 尊】 日蓮上人尊上の大曼荼羅 【歴代住職】 鍋谷寛明(開基)・鍋谷寛恭・泉水慎道 【檀徒総代】 井出豊平・永原久弥・大井鉄平・帯向与三・永原… 続きを読む
思い出ばなし サイレンの音を聞くと・・・・|野崎昭雄 「思い出貼」-「音の風景」の「サイレン」を聞くと、重苦しい雰囲気を思い出します。 鹿島小学校の授業中に、単発のサイレンを聞くと、定刻の知らせと安心しましたが、突如、連続して鳴りだすと、沈痛な雰囲気となりました。 定刻以外で連続して鳴りだすと、炭坑(ヤマ)が崩れたか、ガス爆発が発生したという合図だ… 続きを読む
思い出の街角 大聖寺(曹洞宗) 昭和43年、千年町。曹洞宗大聖寺。 境内には、無縁供養・水子地蔵があった。昭和16年(1941年)8月に、当時親類縁者のない人たちの供養と、水子供養のために、第二代萩野寛宗師が建立した。当時の檀家は約850軒を数え、鹿島の街の様子がうかがえる。 白黒写真に着色した画像 【沿 革】 所在地 … 続きを読む
思い出の記 見つけた写真 No.5 |Kawauchi Masami 前回の『C1101』に続いて、家を片付けていて見つけた2枚の写真のうち、『No.5』の写真です。 『No。5』はよく見ましたね。 白黒写真に着色した画像 『No.5』(撮影場所不明)… 続きを読む
思い出の街角 願正寺(真宗本願寺派) 昭和7年6月に 浄土真宗(本願寺派)の寺院として建立。1998年夕張市内(紅葉山)に移転。 白黒写真に着色した画像 昭和40年代の願正寺(千年町) 【沿革】 所在地 夕張市鹿島一番地千年町 創立年月日 昭和2年(炭鉱開坑と同じ頃入植・山野を開きながら布教) 寺号公称 昭和… 続きを読む
思い出の記 見つけた写真 C1101 |Kawauchi Masami 今日、片付け物してて写真を2枚見つけました。 その内の『C1101』の写真。 いつの頃か? 後ろに、三菱のラッセル車が見えます。 この汽車、見たこと有るような? 石炭の積む所が小さいので、印象に強く残っています。 番号の 『C1101』 覚えているような気がします。 大きく引き伸ばして有るか… 続きを読む
思い出貼 C1101 大夕張炭山にて NHKのテレビドラマ『すずらん』や、東映映画『鉄道員(ぽっぽや)』が公開され、話題になった頃、標茶町に展示保存されていた旧国鉄のC11が北海道の大地を走りました。 以前、留萌駅-増毛駅間を走ったSL『すずらん号』や、釧路駅-標津駅間のSL『湿原号』に乗車しましたが、サイズ的にも、… 続きを読む
思い出の街角 本覚寺遷化 石碑 昭和38年 錦町 本覚寺境内。 写真の奥には、錦町の高台にあった天理教の教会が見えている。 錦町の中で本覚寺は坂の上に位置していたが、それよりも「こんなに高いところにあったんだ」というのが、正直な感想だ。 石碑には『 開基 本覚寺釋慈雲之碑 』と書かれている。 本覚寺の創立者浜出慈雲師の石碑の完… 続きを読む
思い出の街角 本覚寺(真宗大谷派) 真宗大谷派寺院。樺太から引き上げた浜出正一が樺太からの寺院を移転し、昭和24年4月、錦町の山手の方に設置。 白黒写真に着色した画像 【沿 革】 所在地 夕張市鹿島錦町五番地 創立年月日 昭和24年4月 寺号公称 昭和36年3月 本 尊 阿弥陀如来 歴代住職名 浜出慈雲・中井慈照(旧三菱… 続きを読む
思い出ばなし 里見公園|宇良田彰 「里見公園」というキーワードで検索すると大変な量のサイトがピックアップされてきました。 全国にはこれと同じ名称の公園が結構あるのだなと感心しました。 「里見公園(サトミ公園)」に関する想い出を一つ...。 高校時代に坂を下りた所に、確か「池田食堂」という屋号だったと思うのですが、そこで… 続きを読む