千年町

読売新聞大夕張通信部 (千年町) 思い出の街角

読売新聞大夕張通信部 (千年町)

 取り壊し前の読売新聞大夕張通信部 読売新聞大夕張通信部 【奥山道紀】(2001年10月01日)  大夕張が炭鉱で賑わっていた頃には、会社の社報や労働組合の機関誌を始め、各文化サークルの会報など、色々な出版物が発行されていました。   読売新聞の販売所は大夕張通信部を兼ねていましたが、所長の高橋勇治…
千年町の子どもたち 楽しかった日々

千年町の子どもたち

昭和38年頃、千年町。 3人の男の子と女の子。四人の後ろには、願正寺の看板。 願生寺の建物は、そのご改築され、私が記憶にあるものとは違っている。 昭和40年前後に改築されたらしい。 左手後ろに見える屋根は妙法寺。 白黒写真に色付けした写真 願正寺 門前の子どもたち ↓昭和45年頃の願正寺 https…
昭和50年代 千年町 双葉食堂  思い出の街角

昭和50年代 千年町 双葉食堂 

昭和57、8年頃(1982、3年頃)千年町 双葉食堂の暖簾の前で 千年町 双葉食堂  坂本行雄さんとの写真です。37〜8年くらい前だと思いますが、家族で大夕張を訪れた時の写真で父が撮ってくれたものです。今となっては母とそっくりになっている私ですが💦 (2020年8月10日) 昭和43年の住宅地図  …
鹿島警察官駐在所(千年町) 思い出の街角

鹿島警察官駐在所(千年町)

平成9年ころ、鹿島警察官駐在所と千年町郵便局 昭和49年に大夕張にあった1派出所、2駐在所が統廃合され、それまでの「鹿島南警察官駐在所」が「鹿島警察官駐在所」として設置されました。 平成9年頃。閑散としてのんびりとした、千年町郵便局と交番が見えています。かつてここは千年町商店街に通じる人が行き交う交…
鹿島南警察官駐在所 思い出の街角

鹿島南警察官駐在所

【大夕張の警察】 昭和4年夕張警察署大夕張警部補派出所(大夕張地区,沼の沢,清水沢,真谷地炭山と市街を受持ち区域)と大夕張巡査駐在所が設置される。昭和6年南大夕張巡査駐在所が大夕張南巡査駐在所として移転。昭和15年大夕張炭山と称して請願巡査部長1名と巡査1名の派出所が置かれ警備にあたる。昭和17年鹿…
平成10年夏 シューパロ川の河原(鹿島橋付近) |飯田雅人 スライドショー

平成10年夏 シューパロ川の河原(鹿島橋付近) |飯田雅人

平成10年(1998年)7月16日 東小の前の坂を少し下り,鹿島橋左手の笹をかき分けると確かに河原に下りる道がついていました。 無我夢中で娘と駆け下りていきました。深い雑草をかき分けて出た先は広い河原になっていました。干潟には小さな魚が手ですくいあげるほど泳いでいました。 ここでは,かつて子供たちが…
昭和62年 岳楓寮 思い出の街角

昭和62年 岳楓寮

    昭和62年岳楓寮 昭和62年 岳楓寮 【飯田雅人】 昭和62年に元鹿島東小学校の山中佐喜男先生が撮影された写真です。この時にはすでに施錠がしてあり中へは入れなくなっていたそうです。岳楓寮は当時夕張東高校,鹿島中,鹿島東小など,独身の先生方がここで,自炊し生活していた独身寮…
昭和30年 千年町 花嫁行列を見送る人々 思い出の街角

昭和30年 千年町 花嫁行列を見送る人々

段落通知ボックス 昭和30年10月1日。千年町表通り。願正寺から鹿島東小学校に向かう商店街のバス通りが写っています。 前年(昭和29年)に完成した労働会館で式を挙げる花嫁行列が、本通りを歩いて行きます。 その行列を見送る商店街の人たち。 昭和49年の同じ場所。  昭和30年叔父叔母の結婚式…
昭和49年 千年町商店街 思い出の街角

昭和49年 千年町商店街

昭和49年頃、鹿島東小学校に向かって下りのゆるやかな勾配が続く道の両側に商店が建ち並ぶ。 昭和49年 千年町商店街 昭和43年住宅地図 千年町駅周辺から 通学路と千年町【飯田雅人】昭和49年秋の千年町の様子です。閉山後1年経った大夕張。後ろの夕張岳が早い冬の訪れを告げています。左手の千年町郵便局の前…
大夕張10景(9)駅前銀座 岳麓の里

大夕張10景(9)駅前銀座

大夕張10景(9)駅前銀座 画・・・・野 田 淑 雄文・・・・佐 藤 貞 雄 戦前から大夕張に住むおとしよりたちは、駅前通りを歩きながら「随分変わったもんだ」と、感慨深げな表情を見せることがある。幅12メートルの舗装道路が走り、2階建て約60軒の商店がある。やまのデパートといわれる購買会をはじめ、食…
1935年(昭和10年) 昭和

1935年(昭和10年)

1月 18日,遠幌加別川橋梁,架け替え工事完成。 22日夕刻より大吹雪となり、翌23日も依然猛烈となり専用鉄道各所に吹溜りを生じ列車不通、24日に至るも開通不能のため1、2番方共採炭休業、総動員をもって除雪に当り消防組その他の援助により全線600余名を配し復旧に努め、同日午後9時漸く列車の開通を見、…
1933年(昭和8年) 昭和

1933年(昭和8年)

1月 21日,宝沢道路工事完了。千年町と緑町が道路で結ばれる。3月 31日,大夕張尋常高等小学校第3代伊沢豊久校長。4月 1日三菱大夕張礦業所が三菱大夕張幼稚園を三菱大夕張病院横に開設。(園長 鉱業所々長西原民平 園児82)8月 8日,香椎沢橋梁の橋脚流失。(30日まで,函館ドックの手による仮工事完…