思い出ばなし 昭和30年前後のスキー場|野崎昭雄 私の記憶では、昭和30年代前半まで(1950年代)、富士見町のスキー場は、段々畑がそのままスキー場になっていたような気がします。 ですから、滑り降りると、下手な人は段差で腰をとられ転ぶことがよくありました。 そのような話が、このページで出てこないところをみると、その後、改修されたものでしょ… 続きを読む
思い出の街角 函渕 昭和30年頃。 この場所は、後年、大夕張ダムが作られたところ。 かつて南部から夕張川を遡行すると上流は二股に分かれていて、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流していた。 二つの川の合流地点であることから、二股、と呼ばれた。大夕張ダムの別名も、二股ダムである。 大夕張ダムができる以前、この… 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 千年町商店街 あまり画質は、よくないけれど、昭和30年代の千年町の写真は 自分的には貴重なので、掲載していくことに。 TVの映像からスキャンしたもので、当然ながらオリジナルの画像はもっと鮮明でしょう。 千年町のスズラン型の街路灯が、昭和30年代の千年町商店街らしい。 「千年町バス通り」(富田商店・割烹… 続きを読む
大夕張の全景 昭和30年頃 繁栄の街 一面の雪に包み込まれた街。 日が沈む頃、手前の山の影が街全体を先に覆いはじめる。 町から見える夕張岳が沈む夕日を浴て輝く時間。 冬のある日、街に急に訪れる一日の終わり。 白黒写真に着色した画像 白一色の世界に炭住が整然とならぶ… 続きを読む
楽しかった日々 ダイコン干しの一服 昭和30年頃 春日町。 前回の『ダイコン洗い』の住宅と同じ家の屋根の上だろう。 冬の漬物用に縄であまれたダイコンをつるし、その後の一服なのだろうか。が、それにしては、靴も、服も余所行き(ヨソイキ)過ぎる。撮影用に屋根に上がった? 片手に煙草をもってのんびりと座る一家の大黒柱たる主人と、そば… 続きを読む
楽しかった日々 ダイコン洗い 昭和30年頃 春日町のどこからしい。 10月頃だろうか。 秋晴れの日を見つけて、ダイコンを素手、たわしでごしごしと洗い、縄でダイコンを編む。そして軒先にすだれのように干した。 今でもこの時期、外を歩いていると近所でも縄に編んだダイコンが干してあるのをみることがあるが、滅多にみなくなった。 大夕張から… 続きを読む
思い出の街角 桜ヶ丘 3号つり橋から鉄橋 昭和30年頃 桜ヶ丘開拓地と外部をつなぐ、つり橋。 このつり橋は、明石町と開拓をつなぐ白銀橋(開拓橋)より南側にかかっていたらしい。 前方に見える鉄橋は、五十鈴沢橋梁のようだ。 このつり橋は、当時、ゆれが大きく、雨の日などはよく足元が滑り、通行には危なっかしく、たいへんだったという。その… 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 保養所 大夕張駅前,緑町にあった建物。 鉱業所の保養施設。薬湯・紫外線浴室サンルーム(太陽燈室)などが備えられ、従業員の病後の回復・健康増進のための施設。 付属して温室などの建物もあった。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅前、緑町詰所の横にあった。右手の付属の建物は温室。 保養所 【泊川俊徳】 … 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ川 川遊び 昭和30年頃 本間正雄さんが、シューパロ川上流に泳ぎに仲間といったという際の懐かしい写真。 年上らしい二人の人物がうつっているが、筋肉質のたくましく、がっちりとした体つきをしている。 知り合いの子どもたちをつれての川泳ぎだったのだろうか。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
楽しかった日々 洗濯 昭和30年頃 春日町? 昭和30年代中頃、家庭に洗濯機がやってくるまでは、天気の良い日に、外で、たらいに桶で水をくみ、洗濯板を使っての作業だった。 私が子どもだった頃は、母親が洗濯をしているのをそばで手伝うわけでもなく、(手伝いは、かえって母親にとってはじゃまになっただろう)周りをうろうろとして… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島東小学校運動会 踊り 昭和30年頃、鹿島東小学校グラウンドでの運動会。 鹿島東小学校の運動会風景。グラウンドを見下ろす高台に,青葉荘(こちら側)と桜荘(向う側)がうつっている。 家族総出で運動会の演技に拍手をおくるのは、今も昔も変わらぬ風景です。 今でいう表現活動の出し物に入るのでしょうか。 アイヌ民族の衣装を模… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和30年 鹿島東小学校 運動会 昭和30年頃の鹿島東小学校運動会 鹿島東小学校のグラウンドは低いところにあり、周りをシューパロ川が流れています。 さわさわと流れる川のせせらぎと子供たちの歓声が聞こえてきそうです。 運動会を見つめるおじさん、おばさんたちののんびりした雰囲気が伝わってきます。 白黒写真に着色した画像 東… 続きを読む
炭鉱とともに 採炭小泉組 白黒写真に着色した画像 採炭小泉組 【斎藤敏幸】(2021年5月8日) 昭和30年代前半 当時採炭作業は、組ごとに、組織がありました。 採炭組には、それぞれ熟練に応じ、大先山、先山、後山とありました。 父は先山で石炭を掘っていました。 何かの折に、坑道から出てきたタイミングで 撮… 続きを読む
炭鉱とともに 大夕張礦業所 事務所 昭和30年代、ゲートを通って中にはいったところで、正面に事務所が見える。 子どもの時、一度、ゲートをくぐってこの広い庭のある場所に来たという、遠い記憶がある。 なぜ、子どもがここに来たのか、遊んでいるうちに、大人の目をかいくぐって入り込んだのか、大人と一緒に連れられてきたのか、誰と来たのか? … 続きを読む