ダニ峠

ダニ峠から 1999年 写真

ダニ峠から 1999年

前回で紹介した『大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠』、ダニ峠を歩いたその時(1999年5月)に撮影したVTRがあった。 そこからのスクリーンショット。     街から少し奥に向かい南部大宮町から山に入った。     ダニ峠の頂上にさしかかる手前では夕張川の流れが見えた。   …
ダニ峠の物語 伝説狐つき あらかると

ダニ峠の物語 伝説狐つき

むかしむかし、大夕張が南部で、その南部に大夕張炭坑があったころの大正時代のはなし。   ダニ峠で行方不明になった数え年五歳の男の子が発見されるまでの顛末。   『二十年史』(大夕張労働組合)の第一編南部大夕張時代から蒐集。      伝説 狐つき 大正末期、南部にも流行歌が唄われ始めた。   逢いた…
大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠 2丁目3番地

大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠

『むかしの道ろ(昭和6年ころ)』(一部拡大)  上の鹿島小学校の資料地図で、南部と大夕張の間、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流し、『二股』といわれたところ、・・・(かつて大夕張ダムはその合流地点に作られた)の山側に、道が折れ曲がった線で描かれているところがある。    青葉峠(通称『ダニ峠』通…
大夕張へ向かう三つの道(1) 2丁目3番地

大夕張へ向かう三つの道(1)

鹿島小学校にあった郷土室の資料に、昭和2年頃大夕張に向かう『むかしの道ろ』という掲示物があった。 その解説文には次のようにある。     むかしの道ろ(昭和2年ころ) むかし、鹿島まで、3つの道路がありました。  一つは、南部の若葉鉱(今はない)から、山道を通ってきました。  もう一つは、万字炭山か…
1926年(大正15年) 大正

1926年(大正15年)

7月 1日,大夕張青年訓練所開所。 8月 北部開発,第2次案の通洞案に決定。南部二股市街-ダニ峠-通洞台地(鹿島小グランド)まで馬により資材・機械を運ぶ。 9月 通洞開鑿工事に着手。 11月 三菱鉱業,大夕張北部新鉱開発5ヵ年計画に着手。南部-北部大夕張間の鉄道工事始まる。専用鉄道は既成線4哩55鎖…