学び舎の思い出 鹿島東小学校10周年 名簿枠を作成しました。現在分かる分ですが、今後お名前がわかれば記入していきたいと思います。 昭和36年(1961年) 鹿島東小学校10周年の時の職員写真。 白黒写真に着色した画像 鹿島東小学校開校10周年(昭和36年)記念写真 鹿島東小学校の先生【久々湊眞一】 昭和36年。鹿島東小学校、開校… 続きを読む
広告 サトミ会館・広告 昭和45年 昭和45年 住宅地図掲載広告 千年町にあったサトミ会館。 サトミ会館 (電話番号) ・味の店 歌麿 (T.106) ・鉄板焼 より路 (T.106) ・スナックと喫茶 夕渚 (T.106) ・寿し かど蛯 (T.6167)… 続きを読む
思い出の街角 昭和43年 千年町駅 千年町駅は郵便局や駐在所のあった商店街がならぶメインストリートからやや明石町よりのところにあった。 昭和25年11月1日、千年停留所として開業。 昭和35年3月21日千年町駅になり、昭和45年無人化された。 昭和48年三菱大夕張炭礦閉山のため、12月16日営業廃止となった。 当時,駅長… 続きを読む
楽しかった日々 8月 七夕の準備 昭和40年頃、七夕の飾り付けの様子(千年町 桜荘) 七 夕 【飯田 雅人】 99年08月07日(土)19時00分31秒 今日8月7日は,北海道地方の七夕です。保育園に通う下の娘は七夕の唄で,「ローソクだーせー,だーせーよー。だーさーないと,かっちゃくぞ」と歌っています。 大夕張では,カンテラを… 続きを読む
写真 千年町のわすれもの |高橋歌子 千年町の街の名残、水道栓が並んで・・・・ 場所は、バス道路と三吉神社の間くらいを東小学校方向に見ています。 右側に何かの測定機械らしきものがあって、そこの細い電柱?のようなものが見えてます。 2011年頃 2011年、千年町… 続きを読む
街の行事 昭和29年7月稚児祭 細川新聞店前 昭和29年7月18日の稚児祭。 明治43年(1910年)生まれの私の祖母と昭和21年(1946年)生れ、当時8才だった叔母の姿も写っている。 場所は千年町の細川新聞店前。 写真には、色鮮やかな着物や被り物で着飾った子どもたちを中心に、法衣姿の住職さんや、世話役、親御さんらしき人々の姿が見える… 続きを読む
楽しかった日々 桜荘の女の子 昭和43年頃、千年町の桜荘前にて。 女の子乗っている自転車も当時流行りはじめた子供用の自転車。 男の子の『坊ちゃん刈り』に対する女の子の『わかめちゃんカット』。 当時の子どもたちはみんな同じ髪型でした。 ちなみにお母さんたちは、みんな『サザエさんパーマ』でしたね。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
思い出の街角 斎藤商店付近 昭和47年頃だろうか、特徴的なハンドルの自転車に乗っている子どもたち。 千年町、斎藤商店付近。 この先のゆるやかな坂道を降りていくと、鹿島東小学校があった。 赤い郵便ポストが店頭に置かれ、日糧パンの看板がかかる、斉藤商店。 小学生の頃、千年町の教員住宅に住んでいた従兄弟の家では、米から作る… 続きを読む
街の行事 千年町商店街 風船行列 昭和38年頃、山神祭。 子どもたちがこんなに大勢集まっている姿、今は都会でも、地域の中でこんな姿はまったく見ることができない。 手に手に色とりどりの風船や、紙の小旗を手にパレードを繰り広げている。山神社の幟がたち、山神祭関連の行事のようだ。白シャツに白のトレパン姿の男の子がいて、当時の服装を思… 続きを読む
思い出の街角 千年町バス通り(富田商店・割烹スミレ・ 井若たばこ屋) 昭和38年 千年町のバス通り。まだ雪の名残の残る頃。 場所的には、相馬屋旅館の向かい側といえばいいだろうか。右に行くと、千年町駅、願正寺方面、左に行けば鹿島東小学校方面である。 3軒商店が見える。 右は、『井若たばこ屋』 「たばこ」、「煙草小売所」などの懐かしい看板が目につく。窓のショ… 続きを読む
思い出の街角 暁橋を見下ろす千年町の崖の上 昭和40年頃 この場所 千年町の崖の上。私の『思い出の場所』ピンポイントの画像。 千年町のバス通りから、大夕張劇場と、サトミ会館の間の道を南に向かって進むと、千年町の崖の上にでる。ここからは、常盤町一帯を見晴らすことのできる気持ちがいい爽快な場所だ。そばには、高い電柱の上に大きなサイレンもあっ… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年千年町駅前の通り 昭和45年頃の千年町駅前の通りで、バス通りの裏通りにあたる。 願正寺の向かいの郵便局や交番のある商店街のバス通りは、酒屋や飲み屋、商店が軒を連ね、中学校行きのバスが走るメインストリートだったのに対して、病院、床屋、新聞店、風呂屋などの生活のにおいがする通りだった。 昭和43年の地図では、右手前… 続きを読む
思い出の街角 日本キリスト教会大夕張教会 昭和40年代、千年町にあったプロテスタント系の教会の写真。 昭和31年8月22日、キリスト教社会運動家賀川豊彦(1888-1960)が、大夕張で講演会を開いたことを機縁に、大夕張在住の堀田正雄、大橋秀雄と清水沢在住の北沢晋を中心に、日本キリスト教会大夕張教会の設立の動きが起こり、昭和32年(195… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和30年 鹿島東小学校 運動会 昭和30年頃の鹿島東小学校運動会 鹿島東小学校のグラウンドは低いところにあり、周りをシューパロ川が流れています。 さわさわと流れる川のせせらぎと子供たちの歓声が聞こえてきそうです。 運動会を見つめるおじさん、おばさんたちののんびりした雰囲気が伝わってきます。 白黒写真に着色した画像 東… 続きを読む
楽しかった日々 お鼻 見せて 昭和34年8月 最初、従兄弟が写っているこの写真を見たときには、小さい頃千年町の教員住宅に住んでいたので、千年町の公園と思いました。 しかし最近、それ以前に、緑ヶ丘の教員住宅に住んでいたことがあったことを知りました。 そうすると、緑ヶ丘の高台から、錦町・宝町方面が見えている構図ということに… 続きを読む
思い出の街角 『堀田牛乳店』と『堀田牧場』 夕張文化『NO.43』(1998年夕張市発行)に、栄町にあった『堀田牛乳店』の堀田正昭さんが, 「大夕張・・・我がふるさと」 と題して原稿を寄せているので、そこから昭和のはじめ頃の堀田牧場について紹介します。 三菱大夕張炭砿が出来てまだまもない昭和4年、堀田さんのご両親が千年町の川沿いに、牧場… 続きを読む
白地図 千年町市街地図(昭和33年) 昭和33年の千年町 市街地図。大夕張ダムができる前の地図。 千年町の商店名をこちらの地図に記載して行こうと目論み、準備した地図だけれど、先に白地図として、掲載することにしました。 千年町駅から、シューパロ川に向かって、朝日荘のあたりまでの範囲がでています。 ちなみに暁橋のたもとには、堀田牧場の… 続きを読む
思い出の街角 千年町市街 昭和4年の大夕張炭砿の北部(現鹿島)開砿に伴い,南大夕張の商店が移転してきました。 三菱が土地を区画し,一戸当たり,間口4間,奥行き12間として営業地および営業種目を指定し、1商店3戸分まで借地することができたそうです。 ちなみに当時の地代は坪当たり6銭3厘だったということです。 入植当時の… 続きを読む
思い出の街角 読売新聞大夕張通信部 (千年町) 取り壊し前の読売新聞大夕張通信部 読売新聞大夕張通信部 【奥山道紀】(2001年10月01日) 大夕張が炭鉱で賑わっていた頃には、会社の社報や労働組合の機関誌を始め、各文化サークルの会報など、色々な出版物が発行されていました。 読売新聞の販売所は大夕張通信部を兼ねていましたが、所長の高橋勇治… 続きを読む
楽しかった日々 千年町の子どもたち 昭和38年頃、千年町。 3人の男の子と女の子。四人の後ろには、願正寺の看板。 願生寺の建物は、そのご改築され、私が記憶にあるものとは違っている。 昭和40年前後に改築されたらしい。 左手後ろに見える屋根は妙法寺。 白黒写真に色付けした写真 願正寺 門前の子どもたち ↓昭和45年頃の願正寺 https… 続きを読む